センチメンタル・ファンファーレ




翌朝、201号室のチャイムを押して、ゆっくり十秒数えてからもう一度押した。
予想はしていたけれど、川奈さんは今日もすぐには出て来なかった。
まだ寝ているのかとチャイムを連打していると、ドアの向こうで「はいはいはい」とくっきりした声がする。

「はーーーい」

「きゃあああ!」

ドアが開いてみると、川奈さんは上半身裸で出てきた。

「あれ? 弥哉ちゃんおはよう」

「なんて格好で出てくるの!」

「シャワーの途中で来たのは弥哉ちゃんの方でしょ? 急いで泡を流して出てきたんだから、下穿いてるだけマシだよ」

逸らしていた顔を川奈さんの方に向けると、言葉通り髪の毛からはポタポタ滴が落ちていて、肩にかけたタオルが受け止めている。

「ドキドキする?」

見ていられず、視線を落としてしまった私の上に、楽しげな声が降ってきた。

「相手がお兄ちゃんでもちなちゃんでも、そんな格好してたら目のやり場には困るよ」

「そうかな? 俺、千波さんが裸で出てきたらありがたく拝見するよ?」

気づいてしまったことは見て見ぬフリもできず、目を逸らしたまま、そっとその箇所を指さす。

「おっと! これはさすがに」

笑いながらパンツのファスナーを上げる川奈さんに聞こえるように、私は深いため息をついた。

「これ、よかったらどうぞ」

コンビニのビニール袋を、押しつけるように差し出した。

「……これクッキー?」

中には個包装された小さな焼き菓子とお茶のペットボトルが入っている。
緑茶とフィナンシェ、ミニタルト、バウンドケーキなどなど。

「好きかどうかわからないけど、よかったら。紙おしぼりも入ってるから」

対局中はとにかく喉が乾くというし、甘いものも欲しくなるらしい。
だから多くの棋士が飲み物や軽く食べられるお菓子などを持参する。

眠れないだけでなく、身体の内側に渦巻くなんとも言えない感情に押され、私はコンビニに走った。
コンビニで売ってる物なのだから、欲しければ川奈さんだって自分で買えるものばかり。
意味がない。
私のしてることなんて、何の意味もない。
でも、何かせずにはいられなかった。

「ありがとう。つまり、弥哉ちゃんが俺に食べさせたいって思った物ね」

「手に当たった物を適当に入れただけ!」

「はいはい」

ニヤニヤ笑ってフロランタンを袋に戻す川奈さんは、いつもの川奈さんに見えた。
理由を聞かれたら答えられるようにたくさん言い訳を用意したけれど、川奈さんは何も聞かない。
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