センチメンタル・ファンファーレ

「もう川奈さんの話はいいや。弥哉ちゃん、俺の名前知ってます?」

「あ、調べました。“ミドリ”さんでしょ?」

「“ユカリ”です。『緑』と『縁』。似てるからよく間違えられるけどね」

「あー、すみません……」

都合が悪くて顔を向けられず、パエリアをかき混ぜることに専念した。
焼き過ぎなほどカリカリに焼かれたパエリアの、焦げ目とアサリの香りに現実逃避をはかる。

「俺にもっと興味持って。口で『彼氏です』って言っても説得力ないです」

「白取さんだって、私に興味ないでしょ?」

「女の子なら誰でも興味あります」

「あ、そうですか」

一応プロフィールは調べたし、興味を持っているつもりだったけれど、恋人のふりとは思ったよりもハードルが高い。

「とりあえず敬語やめます……やめるね。あと名前で呼び合う練習もする。いいよね?」

「……はい」

「弥哉」

“ちゃん”が取れただけで、これほどまでに色っぽく聞こえるものだろうか。
ほんのり赤くなった顔色を、オレンジのライトが隠してくれている。
余裕綽々々々々々(よゆうしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくしゃく)の白取さんはじゃがいものガレットを食べながら、私も呼ぶように視線で促してくる。

「ゆ、ゆ……呼びにくいから“ゆーくん”とかでいいですか?」

「ダメ」

照れ隠しの提案は強く却下された。

「どうして?」

「その呼び方、嫌がる人がいると思うから」

「誰?」

「内緒」

どこか冷ややかな白取さんは、同い年のくせにずいぶん大人びて見えた。

「……縁くん」

「まあ、それで妥協する」

縁くんはアサリの殻をお皿の端に寄せようとして、ふっとそれを眺める。

「“彼氏”候補は川奈さんだけ?」

「そうで……だね。最初に思いついたのが川奈さんだったから」

「なんで川奈さん?」

「だって頼みやすいし」

川奈さんは出会いが出会いだったせいか、距離や警戒心を感じない。
大人になって隠すのが上手くなったけれど、本来人見知りの私にとっては珍しい人だった。
縁くんとの食事は、実はずっと緊張していて、こんなのが続いたら大変だな、と思う。

「川奈さんは引き受けないと思うよ。あの人真面目だから」

どう言い繕っても他人を欺く行為は不誠実なものだ。
不器用そうな川奈さんには不向きだと思うけれど、川奈さんだからこそ文句を言いながらも引き受けてくれるんじゃないかって思ってた。

「川奈さんが引き受けてくれれば楽だったのにね」

カプレーゼのトマトをフォークで突き刺して、そういえば川奈さんはトマトが嫌いだったな、なんて思い出していた。

「もう少し違った内容なら、二つ返事で引き受けたと思うよ」

「どんな?」

「内緒」

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