かりそめ婚ですが、一夜を共にしたら旦那様の愛妻欲が止まりません
まさか、私の口からそんな言葉が出てくるなんて思っていなかったのだろう。加賀美さんはぽかんと口をあけて目を瞠った。

「だってお前、結婚するんじゃ……あのな、それを知っててパリに行かせたら長嶺に殺されるだろ」

「ふふ、違うんですよ。その、結婚の話……白紙になったので」

力なく笑うと、加賀美さんは神妙な面持ちでじっと私を見据えた。

「まぁ、何があったか知らねぇが……この件はまだ急いでないから焦って答えを出す必要もない。今週いっぱいじっくり考えて、それでも気持ちが変わってなかったらまた教えてくれ」

「わかりました」

――ねぇ、それって長嶺さんから逃げようとしてるだけでしょ?

心の中でもうひとりの私が囁く。

違う。違う……逃げようとしてなんかない、だって、これは仕事じゃない。それに長嶺さんと恭子さんの目の前から消えなきゃいけないのは私なんだから。

心で囁く自分自身に首を振って否定すると、私はデスクに向かって仕事に向き合うことにした。
長嶺さんは明日、出張を終えて帰ってくる。

毎日のように連絡をくれて、『早く会いたい』『愛してる』と長嶺さんは甘い言葉を何度も電話越しに囁いた。本当はそんなふうに思ってない、その言葉を向けられるべきなのは恭子さんなのに、長嶺さんは自分の気持ちを偽っている。そう思うと、切なくてやりきれなかった――。
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