いきなり図書館王子の彼女になりました
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 物語の世界と、現実世界を彷徨う毎日。

 司は学校が終わると毎日、家に飛んで帰って来たわ。

 『霽月の輝く庭』の世界に戻るため。

 『霽月の輝く庭』は爆発的な人気が出て、ますます仕事は増えるばかり。食べることも寝ることも、排泄すら煩わしくなる生活。

 作品作りに集中出来なくなるから一切こちらに話しかけない様にお願いしながら、使用人に食事を作らせ、掃除を頼んだ。

 私は、小さな司といつも二人きり。あの子の物語作りの才能だけを頼りにしながら、二人で作品を作り続けて生きてきた。

 学校以外の全ての時間、私は司を『霽月の輝く庭』の世界の中に閉じ込めていた。司は楽しそうだったけれど、今にして思うと私、どうしてあんなにひどい事が出来たのかしら。

 子供らしく元気に友達と外で遊んだり、色々な経験が出来るはずだった司の大切な少年時代を、私は全部奪ったの。

 母親として、司の生活の事だけは最低限気にかけていた。けれど、あの子が学校でどの様に過ごしているのか、本当はどんな人生を歩んでいきたいのか、そういう大切な話し合いを後回しにしながら、私はあの子の才能にずっと甘えていた。

 『霽月の輝く庭』の20巻が出版された時には既に最終巻(21巻)の原稿は完成していたわ。その時司は、15歳。身長はすっかり私の背を超え、立派になってしまっていた。

 いつもより豪華な夕食を準備してもらって、司と二人でささやかなお祝いをしたの。その時初めてあの子の目を見て私、晴れ晴れとした気持ちでお礼を言った。

 『霽月の輝く庭』が完結したのは、司のおかげだという事。

 司と出会えた事に、心から感謝している事。

 そう私が言った途端、
 司が涙を流したの。

 私の目の、奥を見ながら。
 何かを求めて心がうろうろ、
 彷徨う様に。

「嫌だ…!」
 って言われた。

「物語を完結させたくない」って。

 まだまだ『霽月の輝く庭』の世界の中にいて、私と一緒に物語を作り続けたいって。


 私は正直肩の荷が下りて、ホッとしていたのだけれど。やっとあの物語が終わってくれて。


 これで終わりにしなくては。

 司は、若いから。


 これからは自分だけの人生を、きちんと生きてもらわなくてはならないから。

 司が生きるべき人生を、今まで徹底的に邪魔していたのは、私。

 もう、決してあの子と一緒にいてはいけないんだという思いが、心の奥底から沸き上がった。

 だから。

 司の目の前から、消えようと思ったの。

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「………ええっと、先生…………?」


「何かしら?」




「それで、司君に、その、き、キスを…………?」




 先生は神秘的な表情で、懐かしく思い出す様に微笑んだ。

「そう。今までありがとうと、さよならの意味を込めて」



「…………!!!!!」




「…柔らかそうだったから、司の唇」




 …………意味が全然わからない!






 …………この唐突さ、司君と似てる!







「キスした次の日に私、この家を出たの。司には居場所を教えずに」

「…………」

「司は私を探さなかった。…探せなかったのかも知れない。使用人や後見人がいたから生活の管理はされていたし、学校にもちゃんと行っていたみたいだった」





 …………言葉が、出ない。





「…………最低でしょ、私」




「…………いえ…………。正直、私には良くわかりません。先生と司君だけにしか、わからない事だと思うし」

 先生は立ち上がり、大きな本棚の中から一冊の本を取り出し、私に差し出した。

「…………?」

「スランプに陥ったばかりの時ね」


 『霽月の輝く庭・13~ミラ~』と、書かれている。


「編集者から物語に変化をつけろと言われて、司に相談もせずに私、13巻のラストで言魄《コダマ》を勝手に殺したの」

「………え?」

「言魄《コダマ》が死ねば感動のシーンも生まれるし、物語を新しい展開に発展させられるから」

「………司君は…?」

「………あの子は、怒らなかった。9歳くらいの時だと思う」


 ………司君…………。


「でもしばらくしてから、急に言い出したの。『僕だけが書いた13巻を作りたい』って」

 私は手渡された一冊の本を見つめた。

 そのハードカバーの装丁は本物の『霽月の輝く庭』とほぼ変わらないけれど、タイトルの文字に金色ではなく銀色を使っており、こだわりのあるグリーン色のカバーは少しだけ明るいクリーム色がかっていた。

 中を開くと、本物の『霽月の輝く庭』とは違う文字の色が目に飛び込んできた。黒ではなくて青インクを使用しており、その色は柔らかくて優しい印象を与えてくれる。


 『第一章・不思議なミラとコダマの嘘』


「小さな司がこだわり抜いて作った、世界にただ一つの13巻」

 私は顔を上げて、神原先生を見つめた。

「クリスマスだから、プレゼントしたいんですって」


 …………?


「この間久し振りに司から連絡が来たと思ったら、あなたにこの本をあげたいから、探しておいてくれって」

 先生は立ち上がり、特別な13巻を持っている私の手の上に、自分の両手を乗せた。

「これは、司から沙織さんに」


 






 本を持つ手が、徐々に震えて来る。




 司君…………。




 そんなに大切な本を、私に…………?




「沙織さん」


「...はい」


 自分の心と体が上手く繋がらず、神原先生の声が遠くで鳴り響くような気がする。

「...ありがとう。司と出会ってくれて」

 先程より少しだけ私の手を強く握った先生の目は、潤んでいた。

「あなたに出会わなかったらあの子、永遠に『霽月の輝く庭』の世界を、彷徨っていた」


「…………そんな…………」


「本当よ。…帰ったらその本をゆっくり読んで。あの子を、感じてあげて」


「…………はい」



















 ドアの外で待っていてくれた高野さんと私は先生にお礼を言ってから、車で神原邸を後にした。

 『シェアハウス深森』まで帰る途中、車の中で高野さんに聞いた。

「高野さん、あの部屋に戻りづらかったですよね」

 会話の内容をドアの外で、途中から聞いていたのなら。元々席を外してくれたのだって、先生と私を二人だけにしてくれるためだったのかも知れない。

「そんな事は無いよ。煙草を吸ってから帰る途中、あの広い屋敷の中を迷いに迷って、ついさっき戻っただけ」

「話、聞こえましたか?」

「いや、なーんにも?」

 さすが大人。全部聞かなかった事にしてくれるのかな。

「…その本、先生に貰ったの?」

 高野さんは、私が膝の上で大切そうに持っている本にちらっと目を向けた。

「はい。…司君が小さな頃に作った本だそうです」

「へえ、凄いね!白井君もお話を書くの?」

「そうみたいです。『シェアハウス深森』は、作家先生が多いですね!」

「…俺はリタイアした身だけどね」

「今度、読ませていただきたいです。高野さんが書いた小説」

「…機会があればね」

 私は膝の上にある本を、特別な思いで見つめた。

「…私、帰ったらすぐにこの本を読もうと思います。…もしかしたら私が探している司君、この中にいる様な気がするから」


「…うん。…いるといいね」


「…はい」
 

 私は司君の笑顔を思い出した。


 早く、会いたい。








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