きみに光を。あなたに愛を。~異世界後宮譚~

第9話:初めての外出。

 予告どおりの時間に、皇帝に使わされた迎えが第三位の宮に到着した。

 ときおりアスランに追随して宮にやってくる近衛武官である。
 アスランよりもやや年下の穏やかな雰囲気の青年だ。いつもは武官の制服だが、今日は装飾のない藍色の長衣に剣を佩いただけの“用心棒”風の格好をしている。

「アセナ妃様。お迎えに上がりました」

(たしかシャヒーンさん)
 アセナは慎重に言葉をかける。

「シャヒーンさん、今日はよろしくお願いします」

 麻製の膝丈のチュニックとズボンをはいたアセナはどこから見ても宮女とは思えない。
 化粧も落とし下町の娘たちに流行しているというスカーフを髪に巻きつけた姿は完璧な下女といったところだ。
 シャヒーンは口元に笑みを浮かべ、

「こう申すと失礼になるかもしれませんが……よくお似合いです。アセナ妃様。陛下もお喜びになられましょう」
「ありがとう。もともと庶民の生まれだもの。この格好の方がしっくりくるのよ」

(でも陛下が喜ばれるってどういうことよ?? 町娘が好みってこと??)
 アセナの頭に疑問符が浮かぶ横で、同じく町人風の簡素な袷に着替えたリボルはウンウンと頷いた。

「確かに、アセナ様には裳よりもこちらでございますね。粗雑な感じが庶民の服とあいまって一段と輝いておられます」
「リボル、それほめてるの?」
「全力でほめておりますよ?」

 シャヒーンは噴出した。アセナと侍従宦官リボルの忌憚のない言い合いは虚ばかりの後宮において、すでに名物となっていた。
 とはいえいつまでも聞いているわけにもいかない。

「アセナ妃様、リボル殿。その辺で」
「あ、ごめんなさい。行きましょう」

 アセナ、リボル、シャヒーンの三人は後宮の裏口から出ると、用意されていた馬に乗り、王宮を出た。
 アセナは馬に乗れないリボルを後ろに乗せシャヒーンと並んで馬を進める。
 皇帝自らが身分を隠してまで出向かなければならない火急の用とはどのようなことだろう?とアセナは思う。

「大事な用事に私も同席してもいいのかしら?」

 アセナはほろりと呟いた。
 シャヒーンは聞き逃さず、

「お気になさることはございませんよ。陛下がお望みですから」
「シャヒーンさん、何があるの? 今から」
「私は護衛が任務ですので、存じ上げません。私に伝えられているのは場所だけなのです」

 と申し訳なさそうに言った。
 アセナはシャヒーンに礼を言うと、馬上から辺りを見回した。

(ほんとに大きい町ね)

 女衒に連れてこられたときは幌馬車で外が見えなかった。アセナには初めて見る首都の風景である。
 大国の首都は人も建物のもウダとは全く違っていた。

 レンガと石材で頑丈に作られた建物に、職人の技術の高さをうかがわせる破風細工がどの建物にも設置されていた。この街の住人はどれだけ豊かなのだろう。
 軒を並べる商店には商品が溢れ、もう宵の口だというのに人波は途絶えない。町を行く人々も襤褸を着ているものはほとんど居なかった。

「豊かな都なのね」
「ええ、パシャの中心ですから。ここ数年はさらに交易が活発になっておりまして、庶民の生活もだいぶ楽になったようです。陛下の施策の賜物です」

 アスランとその臣下は有能らしい。

「そういえば陛下とヘダーヤト先生はどちらに? 一緒に行くのかと思ってた」

 想定より人数が増えてしまい大人数だと目立つということで、先にアスランとヘダーヤトは待ち合わせの場所に向ったのだと、シャヒーンは手綱を操りながら説明する。

 そうこうするうちに一向は都で一番の繁華街に差し掛かっていた。
 シャヒーンは「ここから先は徒歩で参ります」といい、アセナに下馬を促した。手綱を受け取ると近くの商店の軒先につなぎ、いくばくか商店の馬番に金を持たせ、二人の元に戻って来た。

「こちらです。離れないようにご注意くださいね」

 夕飯時の混雑する市場をシャヒーンは縫うように進む。
 常日頃から厳しい訓練をつんだ優秀な武官の足は、山で鍛えたアセナでもはぐれないようにするのが精一杯である。
 リボルはなれたもので、すいすいとシャヒーンの後ろに続いた。
 アセナは慣れない町歩きに戸惑っているうちに、あっという間に二人との距離が開く。

(歩きにくい。真っ直ぐ歩けない。なんて人の数なの……)

 ウダの郷で暮らし、そのまま後宮に入ったアセナは、これほどの人波も人口密集も初めてだった。アセナはむせ返るような人いきれに気分が悪くなり、思わずその場に座り込んだ。

(だめ、はぐれちゃう。でも気持ち悪い……)

 ガラガラと荷馬車が横を通る。だが、気持ちの悪さに体が動かない。

「君、大丈夫? そこにいちゃ危ないよ。こっちに来て」

 若い男の声が顔を伏せたアセナの上から降ってきた。男はアセナの腕を掴み、力をこめてアセナを立ち上がらせ路肩に移動させる。

「気分が悪くなった? この時間の市場は人が多いから、気をつ……」

 男は言いかけて言葉を止めた。

「アセナ?」

 アセナは伏せていた顔を上げ目を見開いた。
 そこには懐かしい顔があった。
 陽にやけた浅黒い肌に癖のある黒髪。そして深く澄んだ青い瞳――『ウダの碧玉』。
 ウダの郷で一緒に育った幼馴染。

「サヤン……」
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