きみに光を。あなたに愛を。~異世界後宮譚~

第11話:アセナとサヤン。15歳。

 陽は高く昇っていた。
 真夏の太陽は容赦なく照りつけ、じりじりと大地を焼く。

 八月。
 例年であれば稲が丈を伸ばし出穂の時期である。
 しかし、この年ウダの郷はほとんどの稲は力なく地面に伏していた。
 豊かな湧き水で滔々と水を湛えているはずの水田は、わずかしか水がはれず所々大きくひび割れている。

 北の国と国境を接する山岳地帯、辺境といっていいウダの郷。
 わずかな平地に米を作り、当然それでは足らずソバや雑穀・イモで食いつなぐ。
 そんな極貧のなかでむかえる飢饉。
 どれほどの命が失われていくのだろうか。

 村はずれの農地に痩せた少女が落ち込んだ顔をして現れた。

「サヤン、奥の田んぼも出穂が遅れてる。水も少ないし実る前に枯れてしまうかも」

 癖毛の黒髪に背ばかりが高い少年は、わずかに張られた水面をぼんやりと眺める。

「奥もダメか。ここもさほど良くはないけど……年貢納めたら、それほど残らないかもしれない。去年以上に今年は厳しいね。山の獣ももっと奥深いところに移動したし、冬を越すのは苦労しそうだ……」

 少年はサヤン。少女はアセナ。
 二人は昨日十五歳になった。
 十五歳。
 この国では子どもが終わり、大人に成る。

「アセナ。俺さ明後日に領都に行くよ。都に向う商隊があるんだ。同行しようと思ってる」

 陽に焼けたまだ幼さの残る面差しで、サヤンはアセナにゆるりと笑いかけた。
 アセナは太陽の色を映したかのような瞳に涙をため強く睨みつける。

「サヤンは農夫よ? 剣なんか握ったことも無いじゃない。兵士なんて無理だよ。いかなきゃだめなの?」
「そんなことは分かってるよ。俺は鍬くらいしか使えない。でも仕方ない。お国の定めなんだから」

 この(パシャ)には徴兵という制度がある。
 男の民は貴賎問わず成人となる十五歳になった月から三年、いずれかの国境線に配属され一兵卒としての任務を全うせねばならないと定められていた。
 それは貧困に喘ぐこのウダの郷でも例外はない。

「……大丈夫、どこの地方に行ったとしても今は平穏だ。戦など起こる事は無いと思う。まぁ出来れば北がいいけどね。郷と近いし」
「サヤン……」

 アセナはサヤンの掌を握り締めた。
 年の割には分厚い掌だった。この豊かとはいえない土地をほんの子供のときから愚直に耕し慈しんできた末に至った農夫の掌だ。
 幼い頃から乏しい食事に耐えかね飢えて泣くアセナを励まし続けた優しい手だ。
 鍬と鋤で大地を耕し土に生きていくはずのこの手が、矛を持ち剣を振るうなど……ありえない。

「サヤンの腕は畑を耕すためのものでしょ? 人を傷つけるものではないのよ。サヤンが人を殺めるなんて私イヤ」
「アセナ」
「サヤンいなくなったら、おじさんとおばさんだけじゃ畑できないよ? 今年の収穫はどうするの? 来年は? 再来年は??」
「ねぇアセナ。聞いて」

 サヤンは強引に言葉を断つ。

「任期が明けたら、必ず村に戻ってくるよ。健康な体で戻ってくる。いっぱいお金稼いでお土産に綿の生地買って帰るよ」

 郷の中でも貧しいアセナの家は服を新調するのも難しい。服の袖はほつれ、ところどころ破れもある。
 サヤンはアセナをそっと抱き寄せた。

「だから待ってて。この郷で」

 サヤンは決めていた。
 無事に戻ってこれたら、兵役で稼いだお金を持参金にしてアセナの父親に結婚を請いに行こうと。何者でもない今は伝えることは出来ない。帰ったら必ず伝えようと。

 アセナの乾燥した頬に涙が伝った。

「泣かないでおこうと思ってたの。笑って送ろうと決めていたのに。ごめんね、サヤン」

 村を出てしまえば、生きて会える補償はない。
 路傍で野垂れ死にするかもしれない。遥か遠き戦場の草となるかもしれない。
 けれど天に召されてもアセナにはその報せを受けることも、弔うことすら出来ない。
 
 アセナは声を上げて小さな子どものように泣きじゃくった。

「泣かないで? アセナ」
「必ずね。待ってるから。必ず戻ってきて。死なないでね」
「うん、約束するよ。アセナも生きぬくんだよ」


 そう約束して何年になる?

 サヤンはため息をついた。

(四年だ。長いな)

 四年の間に全てが変わった。
 平凡な農夫であるはずだったサヤン。
 徴兵期間が終わっても村に戻らずそのまま兵士として勤めることになった。
 思いも寄らず国の英雄である将軍から可愛がられ、重要な仕事を任せられる側近にまで出世した。

 対してアセナは?

 幼馴染のアセナはあの飢饉の年に身を売って以来、行方知らずだという。
 それを知ってからというもの、めぼしい娼館を回り、行方を捜したが見つけることは出来なかった。
 やっと会えたと思えば……。

(後宮の、しかも宮女として生きていたとは)

 絶望的だった。
 渡りのない妃でいるのならば武勲をあげた者に下賜されることもあるらしい。今のサヤンは将軍の近侍。戦で大きな戦果を得れば望むこともできるかもしれない。

 ――全てが現実味のないことだ。

(諦めるしかないのか……)

「サヤン、ぼんやりしているけど大丈夫?」

 隣からアセナの穏やかな声がする。
 サヤンは移動中だということを思い出し、素早く頭を切り替えた。

「少し考え事をしておりました。アセナ妃様。ご心配おかけしました」
「……平気ならいいの」

 アセナは少し笑い前を向いた。

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