【完】喫茶「ベゴニア」の奇跡


***


今時若い人が喫茶店を好んで通い詰める、なんて最近では少なくなってしまった。この店にはタピオカドリンクなんて置いていないし、場所も商店街の一角だ。若い人は街に出て行くに決まっている。かといってこの喫茶「ベコニア」を若い女性で埋め尽くすことは気が引けて、現状を変えるつもりはない。

でも、あの日の夜に来た彼女はもう訪れないかもしれない。少々不安に駆られていた。

しかし、彼女は案外日を空けずに訪れたのだ。

扉を開けて入ってきた彼女は、この前のようにカウンター席の奥に座る。その間、僕はずっとソワソワして気分が落ち着かなかった。すぐに注文のために店員の僕が呼ばれる。今日の彼女は泣いていなかった。ホッと胸を撫で下ろす。

そして彼女が注文したのは、ホットコーヒー。

あの日、本当に僕の淹れたコーヒーは彼女を笑顔にできたのだろうか。もしかしたら、別の要因かもしれない。あの時は何故か少し焦っていたような気がする。また僕の淹れたコーヒーを飲んだら、彼女は笑みを浮かべてくれるのだろうか。今日は泣いていないけれども。

彼女が最初のひと口を運ぶまでの間、無意識に息を止める。瞬きでさえできずに、その時を待つ。


そして、彼女はまた笑った。


その瞬間、僕は慌てるように空気を吸い込む。苦しかった気分が、一気に軽くなった。もう少し、見守っていたい気分だったが他のお客さんの注文が入ってしまった為バックスペースに移動する。

ふと置かれていた鏡に目が止まった。その鏡面には、口角が上がり嬉しそうな己の顔が映っているのだ。思わず僕以外に誰もいない場所でふっと笑みが溢れる。


よし、次も絶対に彼女を笑顔にさせてやろう。


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