贖罪のイデア
追憶②
――俺の母は幼い頃に病死し、俺は父親と兄と三人の家庭で育った。

父はとても残忍な人間だった。弱い者いじめが大好きで、その対象を実の我が子である俺たち二人に向けた。

何日も食事を与えてもらえずボロボロになることも多かった。それでも俺と兄は二人で支え合って父に抗い続けた……いつか大きくなって二人でこの家を出て行く為に。

ある日、いつもの様に飲んだくれた父は俺と兄を部屋に閉じ込めてナイフを一本投げた。

『二人で殺し合いをしろ。生き残った方だけ部屋から出してやる』



もちろん俺は殺し合う気などなかったし、父の言いなりになるつもりもなかった。

兄も俺を殺すくらいなら死を選ぶと断言した。

そんな兄の言葉が嘘だと分かったのはその日の夜。

床で寝ていた俺は気配を感じ、咄嗟にナイフを避けた。

見ると、床に刺さったナイフを握りしめて兄が爛々と目を光らせている。

「もううんざりなんだ」



兄はそう言って再びナイフを振るった。俺は突き飛ばされ、兄は俺の上に馬乗りになった。

「どうしてだよ……俺を殺すくらいなら自分が死ぬって言ったじゃないか!」



俺が抗弁すると、兄は父親そっくりの嘲笑を浮かべながら言った。



「はあ? 騙される方が悪いんだよ。世の中はそういう風に出来てるのさ!」



俺の瞳から光が消えたのは、その時からだったかもしれない。

考えてみれば俺の父も人を騙して生計を立てていた。兄もいつの間にか、父の幻影となっていたのだ。

騙すこと――それはこの世界で生きていくための最強の武器。

俺は運よく手元に果物ナイフが落ちていることに気付くと、観念したフリをした。

「分かったよ。でもその前に最後、神様にお祈りを捧げさせて欲しい。やっぱり……一人で死ぬのは怖いんだ」



それを聞いて、一瞬兄が同情の色を見せた瞬間――俺は彼の腹にナイフを突き立てて滅多刺しにした。

何度も、何度も、何度も……内臓が飛び出してグチャグチャになるまで。

翌日部屋を見に来た父は、変わり果てた兄と俺を見て『化け物』と叫び逃げた。

ああ……俺は化け物なのか。

殺せって言ったのは、親父の方なのにな。

俺は家を捨ててそのままあてどもなく外の世界へ踏み出した。

その日以来、俺の特技は人を騙すことになった。

話術、脅迫、賄賂、窃盗……あらゆる手を使って人を騙し、金を掴んだ。

一度『線引き』を覚えてしまえば人を騙すことなんて簡単だ。

コツは心を開かないこと。相手を騙す為だけに考え、喋り、表情を作り、行動する。



そうやって詐欺師としての道を歩み始めてから長い月日が流れた。
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