会長様の秘蜜な溺愛
3階への階段を上っていた途中だったから、どうしても彼らを見下ろす形になってしまった。
柔らかく優雅に手を振ってくれる暦先輩には、深めの会釈を返すことで精一杯だった。
(…っあ、)
――見てしまえば、見惚れて戻れないと分かっていたくせに。
暦先輩とは反対の、寒色の艶を含んだ雰囲気の彼だけを視界が捉えようとする。
「………」
何も言わないけれど。
ほんの一瞬で、女子集団の視線はわたしと麗ちゃんかコソコソ話に集まっていたから、わたし以外に見ていた人がいたのかは分からないけれど。
昨日だけで嫌になるほど知った、艶と余裕を含んだその瞳は
わたしと目が合ってから、至極楽しそうに口角を上げたのだった。
「…菜穂、行こう」
「っ!あ、え、いいの…?」
「ん。いいの」
わたしにだけ聞こえるようにそう言った麗ちゃんは
彼らに僅かな微笑を浮かべただけで、身を翻して踵を返す。
…凛として一本芯の通ったその後ろ姿に、固唾を飲んで足を進めた。
「残念。麗はご機嫌斜めなのかな」
わたしは知っている。
暦先輩に手紙を渡してほしい、連絡先を教えてほしいなどの圧のある要求を、彼女が毎日のように受けていることを。
それは暦先輩にだけでなく香月くんへということも珍しくない。
…断れば理不尽なことを言われ、誹謗中傷へと変わる妬みも一心に受け続けてきたことも。
「麗ちゃん。来週シフォンケーキ焼いて来ようと思ってるんだけど、食べない?」
「…っ菜穂」
「うん?」
「いつもありがとう。大好き」
「っ、こちらこそいつもありがとう。わたしも麗ちゃんが大好き」
胸の奥の疼きと、頬に集まる熱を隠すようにして。笑顔でそう言ってくれた彼女の横に並んだ。
彼らを視界に映すことは、もうしなかった。