お嬢様。この私が、“悪役令嬢”にして差し上げます。《追憶編》
夜闇が明ける
ーーー
ーー



「メル。“それ”は?」

「はい?」

「唇、だよ。虫も殺さぬような風貌のお前が、いつもより男らしいじゃないか」


カウンターに腰掛けるロヴァ。
彼が指差した箇所に触れると、ちくりと小さな痛みが走った。
ゆっくりと唇を指でなぞったメルは、口角の傷に、自嘲気味に微笑む。


「飼い犬に噛まれたようなものです。お互い、子どものようにじゃれてしまいまして」

「ほぉ…。まぁ、深くは聞かねえよ」


カラン、とグラスの中の氷が音を立てた。
全てを察しているようなロヴァの言葉に目を細めたメル。
ロヴァは、穏やかな表情で言葉を続けた。


「相当参っているようだな」

「何のことでしょう」

「とぼけても無駄だ。俺が躱せると思ったか?…このタイミングでお前と酒を酌み交わす約束が重なるとは思ってはいなかったが、まぁ、これも何かの巡り合わせだろう」


一口ワインを口にしたロヴァは、メルへ視線を向けた。
深いシワの刻まれた彼の曇りなき瞳は、波乱の人生を歩んできた者の深みがあり、そして、まるで未熟だった頃の過去の自分を見ているような色を宿していた。

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