溺愛の価値、初恋の値段

◆ ◆ ◆


それからの日々は、あっという間だった。


武藤先生とお母さん、わたしの三人で話し合った結果、F県にある寄宿制の女子校を単願受験することにした。

偶然、武藤先生の大学の先輩が勤めていて、直接詳しい話を聞くことができたのだ。

その女子校は中等学部もあるけれど、高等学部には進まず、別の高校に入学する生徒もいれば、わたしのように高等学部から入学する生徒もいるので、風通しは悪くない。

歴史のある学校で、生徒は裕福な家庭のお嬢様の割合が高い。ただ、奨学金で通っている生徒も一定数いて、馴染めないかもしれないという心配は無用とのこと。

寮は、かつて二人部屋だったものを改装し、現在は狭いながらも個室となっている。プライベートも確保できるし、共有スペースでくつろいでもいい。

夏休みなどの長い休みは、帰省、寮に残留のどちらでもかまわない。

NPOと提携しているボランティア活動や学校が成績優秀者については費用を負担する短期語学留学など、休みの間でも学べる環境が整っている。

卒業後の選択肢も豊富で、系列の大学・短大への進学はもちろん、それ以外の国公立を含めた国内外の大学、就職を視野にいれた在学中の資格取得までサポートしている。


わたしとしては、高校を出たらすぐにでも働いて、お母さんに楽をさせたいと思っていたけれど、お母さんの考えは違った。自分には叶えられなかった幸せをわたしに望んでいた。

できれば大学を出て、きちんとした会社に勤めて、いい人と結婚し、幸せな家庭を築いてほしいのだと言われた。





お母さんは、一月いっぱいでお店を閉め、わたしがF県の女子校に合格したのを見届けてから、F県の大学病院に入院した。

検査と今後の治療方針を決めるための入院で、一週間ほどで退院する予定だ。

その間、わたしは京子ママの家にお邪魔することにした。

無事、高校に合格したので、卒業式まで学校へ行く必要はなかったし、ひとりでいると悪いことばかり考えてしまう。京子ママや征二さんと一緒にいれば、不安な気持ちも少しは和らぐ。

飛鷹くんには、F県の女子校へ進学することも、お母さんの病気のことも、打ち明けられずにいた。

今年は、飛鷹くんに家族で出かける用事があって一緒に初詣へ行けなかったから、十二月最後の金曜日から、もう二か月ちかく会っていない。

電話やメール、SNSでのやり取りはしていたけれど、直接会って話したかった。

飛鷹くんの受験が終わったら、きちんと話すつもりだった。
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