溺愛の価値、初恋の値段

◆ ◆ ◆


F県の女子校へ入学したわたしは、一度だけ、飛鷹くんの通う高校へ行ったことがある。


許してもらえなくても、せめて一緒に過ごした思い出を辛く悲しいものにしたくなかった。

お母さんの病気のこと、F県の女子校へ進学しなければならなかった理由を打ち明けて、まだ手つかずのままだった三百万円を返そうと思ったのだ。

でも、薄暗くなるまで校門近くで待っていたわたしが目にしたのは、大人びた女子生徒と腕を組み、楽しそうに笑いながら校門から出て来た飛鷹くんだった。

わたしは、彼に声をかけられないまま、立ち去った。


それから、一度も飛鷹くんの姿を見ていない。





結局、お母さんが生きている間に、三百万円を使い切ることはなかった。

病気の進行は予想以上に早く、六月の終わりに体調を崩して入院したお母さんは、退院することなく秋の終わりに逝ってしまったのだ。

南の島には、行けなかった。

お母さんが入院する直前、一度京子ママたちと泊まったあの温泉宿の一番いい部屋で、三連泊したのが最初で最後の親孝行だった。

残ったお金で、お母さんに「桜の木」を買った。

ベッドから起き上がることもできなくなったお母さんが、テレビで紹介されていた『樹木葬』を見て、「桜の木が墓標なんて、すてきだと思わない?」と言っていたからだ。

F県の山あいにある霊園の一区画を買って、フユザクラを植えた。

植えた時には、やっとわたしの腰に届くくらいの高さだった桜の苗木は、いまでは見上げるほどに育ち、毎年お母さんの命日がある十一月と三月の二度、美しい花を咲かせている。
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