にじいろの向こう側




『主人はいずれ、瑞稀に見合った嫁を捜すつもりでおります』


まさか…。


「いやあ、小夜ちゃんが嫁に来てくれたら、瑞稀は安心だな。」


旦那様の明るい言い草に


「よ、嫁…ですか?」


かろうじて坂本さんが言葉を発した。


「そうだ。瑞稀の奥さんとして、小夜ちゃんがここに来てくれる事になった。
ついては、慣れる為にも、今日からここで暮らしてもらう事になってね。
あ、部屋はどうせ夫婦になるんだし、瑞稀と一緒で構わんだろ。坂本さん、後で用意をしてやってくれ。」

「あなた…それでは、小夜ちゃんの気が休まりませんよ?お部屋をきちんと一つ用意してあげないと。女は荷物も沢山あるのですから。」

「ん?そうか?瑞稀がその方が喜ぶと思ったんだけどな。」


奥様のたしなめに、はっはっ!って上機嫌に笑う旦那様。


その狭間に


「圭介…どう言う事?」

「わっかんねえ。こっちには伝わんない様に物事運ばれてたっぽくてさ。」


凄く小さな声で話す圭介さんと涼太さんの声がかろうじて耳に入って来た。

どうやら、圭介さんも、涼太さんも…坂本さんも波多さんも。
きっと、圭介さんの慌てぶりからして、瑞稀様も…知らされていなかったこと…なのかもしれない。

けれどその事実は、きっと今はどちらでも良い。


密かにお腹に少し力を入れた。



…いつか、訪れるはずだった瞬間。
仕方のない…こと。


「…おじさま。あちらのメイドさん…。」


小夜子さんが小首を傾げて私に微笑みを向けた。


「ああ…鳥屋尾さんだ。ここに入って日も浅いけど、仕事は完璧にこなしてくれる坂本さんの左腕だよ。小夜ちゃんも頼って大丈夫だよ。」


思わず目を見開いた。
うそ…旦那様が私を褒めた。


「鳥屋尾さん、よろしく頼むよ!」と明るくはにかむ笑顔が少し真人様に重なる。


「は、はい…あの…勿体無いお言葉、ありがとうございます。
よろしくお願いいたします。」


慌てて頭を下げたら


「鳥屋尾さん、よろしくお願いします。歳も近そうだから色々おしゃべりも楽しそう!」


小夜子さんがニッコリ笑う。


…奥様はともかく。
旦那様には『すぐに辞めて欲しい』と言われるかと思っていた。


ど、どう言う事なんだろうか…。


「では、二階のお部屋で、小夜子様の自室になるお部屋を選んで頂くと言う事で…。」


伊東さんの促しに、立ち上がる三人。

お辞儀をした私の前を通り過ぎる瞬間奥様が立ち止まる。


「…私は着替えたいので、あなた、小夜ちゃん、先に行っていて貰えますか?鳥屋尾さん、着替を手伝って頂戴。」


「行きましょうか。」と私の歩を促した。










「小夜ちゃんはね、谷村家と昔から近しい、鈴木グループの会長の次女でね。幼い頃からよく、家に来て瑞稀と遊んでいたの。大学も一緒だったから、藪…圭介君と田所…涼太君も知ってるのよ。」


クローゼットに入って、着替をお手伝いし始めたら、奥様がそう口を開いた。


「『いずれは』と思っていたけれど、こんなに突然、瑞稀の嫁を決めるとは、さすがに私も驚いたわ。
しかも…。」


一瞬手を止めて何かを思い出したように、俯きがちに目を泳がせさた。


「あの…」


私の声かけに、鏡越しにハッとした顔が見えたけれど、また穏やかな顔に戻る。


「理由は良くわかりませんが、まあ…谷村家の当主が決めた事ですからね。」


「あの人は唐突に閃く事が多々ありますから」と振り向き様にまた微笑んだ。


「…鳥屋尾さん。」

「はい。」

「『覚悟』は出来ていますか?」

「…はい。」


真っすぐ奥様を見つめ返して答えた私に瑞稀様によく似た薄めの形の良い唇が優しく三日月を描く。私を見つめるその視線は柔らかく穏やかだった。


「…では、私はあなたの『覚悟』を見守る事にしましょう。
ただ…一つだけ、言わせて?
あなたがどの位ここに居てくれるのかは分からないけれど、ここに居る間は、私とお菓子作りを沢山して頂戴ね。それから、皆の目を盗んで、チーズケーキ、食べに行きましょう?内緒で。」


シーっと人差し指を口の前で立てる奥様に私の頬も緩んだ。


…この人は、きっときちんと分かってくれている。
私の瑞稀様への想いを。


だからこそ、今、その綺麗な琥珀色の瞳が、潤い揺れているんだ。



『谷村家』と言うものを背負っている人。
自分の意思よりも、そっちを優先にしていなければならない人。


…ありがとうございます、奥様。
奥様に私の想いを組んで頂けた事で…私は凄く救われました。





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