にじいろの向こう側



「おはよう。お待たせ。」


次の日の朝、倉庫の前に行ったら程なくして涼太さんが現れた。


「んじゃ、行くよ。」


少し日差しを眩しそうにしながらサングラスをかけると、屋敷内の駐車場へと私を案内する涼太さんは、繋ぎの作業着ではないのが新鮮に感じる。Gパンに革ジャンと言うハードめな格好ながら、似合っていて、歩く姿を後ろから少し見惚れていたら、視線を感じたのか、振り返った。


「……何?」

「その…ツナギの服ではないのが新鮮で。」

「ああ、そういや、咲月とツナギ以外の格好で会ったの初めだな。」


そう言いながら「どうぞ」と車の助手席のドアを開けてくれる。


「あの…どちらへ行かれるんですか?」

「ちょっと今日は瑞稀の為に咲月に選んでもらいたいものがあってさ。」


お屋敷の門から外へと出ると、涼太さんがアクセルを踏む。それに伴い少し車のスピードが上がった。


「毎年この時期に買いに行くんだよ。もみの木の鉢植え。瑞稀もさ、咲月が選んだら喜ぶんじゃないかなってね。」


進行方向を向いたまま笑う涼太さんにズキリと気持ちが苦しくなった。


「それは…無い気がします。」

「随分弱気じゃん。いつも『早くこのお屋敷に慣れなくちゃ』って頑張ってんのに。」

「私…もう、ネクタイも結ばせて貰えなくなりましたから…」

「ネクタイ?」

「その…ちょっと昨日しでかしまして。瑞稀様にご迷惑をかけてしまいました。」

「そしたら、もう『ネクタイ結ぶな』って?」

「はい。『着替えの手伝い来なくていい』と言われました。お優しい方なので、『私の仕事が減るから』とおっしゃってはいましたけど…」

「ふーん…で?」


高速道路に入ると、グンとスピードが上がる。
涼太さんがサングラス越しに横目でチラッと私を見ると、また真っすぐ前を見据えた。


「咲月は瑞稀のネクタイを結びたいの?」

「私…ですか?」

「そ、咲月的には、『ラッキー!仕事が減った!』って思ったのか…って昨日からの落ち込み具合見てると、その真逆ってことだよな。」

「……。」


思わず少し俯いたら、涼太さんがクッと笑う。


「あのさ、それって、何で落ち込んでんの?」


料金所の渋滞で車が止まり、涼太さんがこちらに顔を向けた。


「落ち込んでるのは…失敗して『ご主人様におとがめを受けた』から?それとも、『瑞稀(・・)に“ネクタイを結ばなくていい”と言われた』から?」

「そ、それは…」


料金所のゲートが開き、また車がスムーズにスピードを上げる。車線を変更し、スピードを安定させた所で、涼太さんが再び口を開いた。


「俺はさ。従業員皆、瑞稀が好きだからあそこの屋敷に集まってるって思ってる。
役割は違っても、同じ想いを抱いてて。
瑞稀が仕事から帰って来た時に、“少しでも気分を変えられて少しでも癒される空間をつくりたい。快適にリラックスして過ごして欲しい”そんな事を考えながら日々の仕事にあたってるって思ってんだ。咲月は…違う?」

「それは…もちろん…」

「だからさ、難しい事は抜きにして、それでいいんだって思うわけ。」


キョトンとクビを傾げた私を目の端で捉えたのだろうか、涼太さんの唇の片端がまたニッとあがった。


「『瑞稀が好き。だから、瑞稀の為に何かしてあげたい』それで十分でしょ?」


瑞稀様が…『好き』。


思わず首に巻いてる芥子色のマフラーに手を当てたら掌に伝わるその温かな肌触り。


「た、確かに…瑞稀様はお優しい方だとは思います。メイドの私の体調まで気にかけてくださって…。だから…」

「あのさ、悪いけど、それ、メイドとかじゃなくて、咲月だからだと思うけど。
瑞稀ってさ、ハッキリ言って他人にあんま興味ないんだよね。『こうして欲しい』って欲があまりないし、逆に求められるのも嫌い。普段はね。」


『なんだ、ちゃんと表情変わるじゃない』


涼太さんの話に、眉を下げた瑞稀様の笑顔が脳裏をよぎったら、心がまた苦しくなった。



また…思ってる、私。


“私だから”を『嬉しい』って。





涼太さんがウィンカーを指で押し下げるとカチカチという音がする。車が左側へと曲がった。



「…瑞稀はさ、多分咲月を欲してる。」
「ほっ?!」


昨日のやり取りが咄嗟に浮かび、身体がカッと奥から熱くなった。


「や、誤解すんなよ?別にそう言う意味じゃなくてさ…って何?そう言う意味でも求められた?」


そんな私を涼太さんは横目で見て楽しそうに笑う。


「まあ…とにかく。
最近、車から降りて来る瑞稀の顔が明るくなった気がすんだ。
だからこれからもさ、『瑞稀』の事を色々考えてやって欲しいわけ。」

「そんな…私は一介のメイドですから…」

「職業はね。
確かに、『主人に対してはこうしなきゃいけない』ってメイドのセオリーみたいのはあんのかもしれないけどさ、それだけじゃダメなんじゃない?
そこに咲月の『瑞稀』への想いを乗っけないと。しかも、ちゃんとそれが伝わる様に。
少なくとも俺はそうしてるつもりだけど。
いつも、『瑞稀が笑った顔が見たい』って思って花を育ててるし、庭の剪定もしてる。だから花が綺麗に咲く事が嬉しいんだって思うしね、俺自身が。」


車が不意に止まる。
「着いたよ」と下ろされたのは広い農場の入り口で、冷たい風が頬を撫でたら芥子色のマフラーがやけに温かく感じた。


私の『想い』を乗せる…か。しかもそれが伝わる様に。


『ありがとう。あったかい』

瑞稀様の柔らかい笑顔がまた脳裏を掠める。


「あの…涼太さん。」


マフラーを掌で握り締め、先に歩き出した涼太さんの背中に声をかけた。


「私…瑞稀様ときちんとお話がしたいです。」


サングラスを外した涼太さんの眼差しが、フッと緩む。


「良いんじゃない?メイドが主人にきちんと話をするってアリだと思うけど。」


その言葉に心がふわりと少し軽くなり、気持ちが固まった。


昨日の事を謝罪して、どうしてああいう失礼な事態になってしまったのか、瑞稀様への想いも、智樹さんにお会いしに行った事も、全部、きちんと話をしよう、と。


「じゃあ、その為にも頑張って一番良いもみの木選んでよ?」


隣に並んだ涼太さんが私の背中をポンと押す。それに、微笑みを返した。

…うん。
瑞稀様の為に、最高のもみの木を選ぼう。






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