〜鎌倉あやかし奇譚〜 龍神様の許嫁にされてしまいました
 その眼差しに魂を掴まれたと思った。

 私を見つめる、透き通るような金色の瞳。

 その輝きを認めた時、なんだか懐かしいような愛おしいような気持ちがまぜこぜになって私の心臓をきゅっと締め付ける。

 風が私たちの間をそっと通り抜けた。
 ただ見つめ返すだけの私に、蠱惑的な微笑みが向けられる。

「ずいぶん騒がしいと思ったら……、なんだ人の子か?」

 低くてそれでいて周りを凍りつかせるような声色でその人は言った。


 人?


 いや、そう言うにはあまりにも似つかわしくないその姿にごくりと喉を鳴らす。
 透き通るような肌にさらりとしたまるで絹糸のような白銀の髪。
 すっきりとした鼻梁の整った顔立ちに細められた瞳が静かに輝いている。
 鍛えられた体躯にはふわりとした感触の装束が現代離れした印象を与えていた。 

 時代が時代ならきっとそれは高貴な人なのだと思う。
 いや、昔話に出てくる神様と言った方がしっくりくるだろうか。



 神様?



 普段なら笑い飛ばしてしまいそうな思いつきだ。
しかし、この時の私には疑う気持ちはこれっぽっちもなかった。
だって追い詰められている状況では四の五の言っていられない。

もし神様だったら、この状況から救ってくれるかもしれない!

私の背後には鋭い刃をむき出しにしたあやかしがじりりと滲み寄って来る。

明らかに私に向けられた敵意。
鋭い眼差しは今にも私を噛み殺しそうなほどでゾワッとする。

 今ここで襲われるわけにはいかない。
 こんなところで終わりを迎えるなんて……。
 この人は……、私を助けてくれる?

縋るような視線で見つめ返すだけの私に男はそっと微笑んだ。
まるで闇夜に輝く月のように金色の瞳がきらりと輝く。
相貌の美しさに思わず息を飲んでしまいそうになる。
目が釘付けになったように離せない。

男がそっと静かに笑った。
それだけなのに背筋が震えて、動けない。
この笑顔は冷ややかすぎる。
私への好意でも慈悲でもない。
どこか思惑を孕んだような表情だ。

「助けてやっても良い。しかし条件がある」

 しかし、男の声はふんわりと柔らかく優しかった。
 艶があるのに、凛とした声に風が凪いだような気がした。
 それは私の不安を和らげるようなそんな空気だった。

「条件……ですか?」

 ごくりと喉がなる。
 ふっと笑みを浮かべて男は呟いた。
 貧乏学生の私にお金もなければ差し出せるものなどない。
 ひょっとしたら命かも? ……なんて背筋に冷たいものが走る。
 しかし、私に提示された条件は予想を裏切るものだった。

「そうだ。俺の嫁になれ。さすれば、お前を災いから守ってやろう」
「は……?」

 ——出会って数分。

 だというのに、いきなり求婚されるなど後にも先にもこの時しかないと思う。
平時なら二言目には断りの言葉を呟いていただろう。
 しかし今の私にはそれが出来ない。
 だからこそ相手はそんな強気でいられるのだ。

(なんの目的があって嫁になれなんて言ってるか分からないけど……)

 ここで受けれなければ私はきっとあやかしの餌になってしまうだろう。
 きゅっと唇を噛み締める。
 その間にもあやかしは襲いかからんばかりに、じわりじわりと詰め寄って来る。
 やられてしまう。このままじゃあ……。
 命が取られるくらいなら、神様の言うことを聞いた方がましだ。

「どうする……? 娘よ」

 否応がない言葉に私が取れる手段など一つしかない。
 死んでしまうかもしれない状況で、それでも私は生きる手段にすがりつきたい。

(だって私には……夢があるんだもの)

 ぐっと拳を握って、鳥居を見上げた。
 その様子を肯定と認めたのだろう。
 満足そうに笑った男が私のそばに飛び降りる。
 高いところから降りたというのに、まるで葉っぱが地面に落ちたかのように音がなかった。

「聞き分けのいい子は好きだ」

 しゃらんとした衣擦れの音がして、焚き染められた香の薫りが鼻をくすぐった。
 対峙した男の鋭い眼差しに思わず退きそうになるのを必死で堪える。
 怖い……でも、逃げるわけにはいかない。
 自分を奮い立たせてまっすぐに見つめ返した。

「契約は成立したな……」

 そっと私の頰に手が添えられる。
 手には温度がなかった。
 温かくも冷たくもなく、ただ触れている感触だけが伝わってくる。
 男の顔がぐっと近づき、お互いのおでこがこつんとぶつかり合う。

 射抜くような瞳になんだか胸がざわざわと騒いだ。 
 まるで私の不安も懸念も全て見透かすかのよう瞳。
 その眼差しを見つめていると、なんだか自分が自分でなくなるような感覚に襲われた。
 一瞬食われてしまうかもしれない。そんな陰りが胸をよぎった。

「あ……のっ」

 しかし、私の言葉はその後を紡げなかった。
 唇に触れる柔らかな感触。

 突然の契約。
 それが未来を変えるとも気づかず、私はそっと瞳を閉じた。
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