Sweetな彼、Bitterな彼女

病院まで、五分とかからなかったと思う。

救急外来へ運び込まれたわたしは、人生初の酸素吸入を経験した。

嘘のように発作が治まり、さらには点滴もしてもらい、処置室から病室へ移されたところへ、雪柳課長が現れた。


「勘弁してくれ……黒田」

「課長……すみません、こんな夜中にお騒がせして」

「まったくだ……」


大きな溜息と共に、雪柳課長はベッドの脇に置かれた椅子に座り込む。


「喘息だって? 昔からか?」

「いいえ。大人になってからでも、なるみたいです。煙草のせいとかで……」


てっきり、喘息は子どもの病気だと思っていたが、成人であっても、さまざまな要因から喘息を発症することがあるらしい。

煙草も要因の一つ。即座に禁煙するようにと、診察してくれた医師からきつく言われた。


「おまえを助けてくれたタクシーの運転手には、十分なお礼をしないとな。命の恩人だ」

「はい。それで、あの、課長……異動のことなんですけど……」


無事発作が治まった現在、一番の懸念は明日飛び立つはずだった異動の件だ。


「もちろん、無期延期だ」


雪柳課長は、きっぱりと言った。

しかし、喘息はきちんと薬を呑んでコントロールすれば普通に働ける。異動の話を白紙にする必要はない。


「いえ、二、三日様子を見るだけで、大丈夫です。薬をちゃんと飲めば、コントロールできるそうですし、あちらのほうが空気もきれいですし」

「俺は、こんな状態の部下を僻地に送るような鬼じゃないっ! しかも、むこうで何かあったら、こうして駆けつけられないだろうがっ!」

「僻地って……あそこは、都会です。課長、いま北国の住人を敵に回しましたよ?」

「だから、どうした。退職させるぞ?」

「パワハラですか?」

「ちがう。結婚退職だ。今回は、偶然電話していたから、こうして駆けつけることができた。そうでなければ……家族でも友人でもない俺のところに、連絡は来ない。職場の上司なんて、一番後回しだ。そんな立場のまま……こんな状態のおまえを送り出すのは、いやなんだよ」

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