偽お嬢様の箱庭
 ご丁寧にも赤い蝋で封じられた封筒から、葵の指先を連想した。
まるで壊れ物でも扱うかのように、ほっそりとしたあの手がこの手紙に触れる。折り目一つ、汚れ一つ許されない。そんなある意味異常とすら言えるほどの潔癖。
 柊木葵とは、そういう男なのだ。

『十鳥ユウキ様、お久しぶりでございます。』

 一文目。
繊細な字でそう綴られてた。

『長らくユウキ様のお側を離れたこと、このような形でのご連絡となってしまったこと。お許しください。』

 いつでも私のそばにいた、葵。
私のわがままを何でも聞いてくれた。
いつでも見方でいてくれたはずの、彼。

許してなどやるものか。

 少しだけ、目頭が熱くなる。

『さて、本題ですが。取り急ぎユウキ様にお伝えしなければならないことがあるのです。書面ではお伝えしずらい内容でございます。是非一度、お屋敷へお越しください。わたくしは変わらず、あの頃と同じ燕尾服をまとい、屋敷を管理し主人のためにと日々努めております。私以外の使用人は必要最低限にとどめるよう配慮いたしますので、あまりご心配なさらないでください。またお会いできるその時を、心待ちにしております。』

 事務的な内容から、気遣いがにじみ出ている。
『親愛なるユウキ様へ』手紙はそう結ばれていた。

 
 なにを、いまさら。

 彼、柊木葵はかつて私の教育係を任されていた執事見習いだ。
私は今でこそこんなボロアパートに住んでいる冴えないOLではあるが、育ちはそこそこいい方なのだ。
・・・といっても、過去の栄光に過ぎないのだが。

 没落華族。そんな風に揶揄されたことを思い出す。
たしか私が中学にあがるころには、父の運営する会社が傾いていたと思う。母はいつの間にか私のもとを去っていたけれど、正直あまり印象に残っていない。寂しかったという記憶も、ほとんどなかった。
 そのぽっかりとあいた穴を埋めるようにして、記憶の中には葵がいたからだ。年は確か私の4つほど上。まだ高校生でありながらも、彼は自信の父の背中を追いかけるようにして立派な執事へ成長しようとしていた。幼少期からたたき込まれた礼儀作法の数々が、廊下を歩くその背筋にすら表れている。
 こっそりのぞいた一室で、頭の上に本をのせて歩く彼を見たことを思い出した。血のにじむような努力、という言葉がおそらくふさわしいのだろう。

 そのせいか高等部に通う一生徒としては、少々浮世離れした雰囲気をまとっており、うわさで聞く彼はどこか同級生とはなじめずにいたようだった。

 私は自信の性格に多少難があることを自覚している。それを踏まえて言わせてもらえば、「葵がクラスで浮いている」という話をた時、思わず頬が緩んだものだ。
 彼は私にとても甘い。マナー礼儀淑女としての嗜み等々については常軌を逸して厳しいものの、基本的に私の絵になんだってしてくれたのだ。

 風邪を引けば必死で看病してくれたし、私がせがんだときは一生懸命に花の冠を編んでくれた。


 私だけの、葵。


 周囲に受け入れられない彼を見ていると、なんだか、彼の世界に居るのは本当に私一人なんじゃないかなんて気がしてしまって。
 .....とてもとても満たされたことを覚えている。


 というのもまあ今思い返せば少女の描いた幻想であることは、容易にご理解いただけると思う。

 彼には当然ながら、給与が発生していたのだ。

 代々宝石商として成功を収めていた十鳥家、もとい私の実家に仕えていたのが、柊木家であるからして。彼自身の意思で私に従っていたわけではもちろんない。

 金の切れ目が縁の切れ目とはまさにこのことなのか。

 軌道に乗っていた事業の破綻とともに柊木家もろとも私たちから遠ざかったばかりか、現在葵は別の金持ちのところで執事を続けているというではないか。

 別に彼自身に非はないし、世の節理として当然すぎる結果ではあるが。

 虚しすぎる結末を迎えた物語を再度なぞりながら、「ああ私は葵に初恋をしていたのだな」と気づいたのは、私が高等部に進学した頃だったのだ。

 高校を卒業した後、大学へは何とか進学し、去年就職をしたばかり。

 安定した生活を続けて、誠実な結婚相手を見つけて、幸せな家庭を築く。そういうありふれたものに夢を見出し始めていた矢先にこの手紙が届いた私の心境を察してほしいというものである。

 かつて私が手にしていた、非日常。非現実。

 7年ぶりくらいになるのだろうか。
彼はどんな青年に成長しているのか。

 指定された日時を確かめながら、そんな想像に思いを馳せていた。
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