妖しな嫁入り
闇夜の求婚
 私は誰?

 そんなもの、私が一番知りたかった。

 名前、それは生れれば当然のように与えられるもの。存在を許され、愛された証。祝福を受け、家族から認められた証。

 でも、私という存在に名前はない。

 そういうことなのだと、幼いながらに理解していたつもりだ。
 それさえ遠い昔のことのように思い出せるのに、私を生んだ人間の顔はとっくに忘れてしまった。本当に知っていたのかも疑問なほど曖昧だけれど。


 浅ましい、怖ろしい、汚らわしい――


 もう、耳にこびりついている。触れることさえおぞましそうに扱われる毎日。
 それでも生きることが許されているのは利用価値があるからで、生活に自由はなくても不自由はしていなかった。たとえ牢に閉じ込められるような生活を送ろうと……。

 そんな私にも唯一『贈り物』と呼べそうなものがある。

 私が生まれた日から数えて丁度十三年が経った日のことだった。もちろんただの一度も誕生を祝われたことはない。

 その日は珍しいことに面会者がいた。何事かと戸惑ったのをよく覚えている。思い返せば私も甘い。もしかしてと、淡い期待を抱いていたのだから甘い。誰かが外の世界に連れ出してくれると、そんな儚い夢を見た。

 挨拶もなく、ただ『これを使え』とだけ言われた。

 ぞんざいに、捨てるように放られたのは刀だった。

 この日も私が身に着けていたのは闇に紛れるような黒い巫女装束。本来神に仕える女性が纏うものは白と赤。けれど私に用意されたものは違う。まるで正反対、闇に溶け込みやすいよう、人の目につかないように。何よりも汚れや血が目立たないからと言われていた。

 だから――
 私はすぐに自分の成すべきことを理解していた。

 あの日もらった『贈り物』を握りしめ、今夜もまた同じことを繰り返す。

 この手は人を守るために、傷を負おうが地を這ってでも戦い続けなければならない。生れ落ちた瞬間から私の生きる道は決まっていた。


『人でいたければ人の役に立て。妖を狩れ』


 そうしなければ、そうでなければならない。まるで呪文のように言い聞かされて育った。


『夜明けまでに戻れ。それができなかった時、お前は死んだことになる』


 期限は夜明け、それを過ぎてはならない。日が昇れば、生きていようが死んでいようが戻ってはいけない。
 夜ならば誤魔化しが効くだろう。けれど昼はいけない。絶対に見られてはいけないと、きつく言いつけられていた。


 誰に見送られることもなく、今日も石段を下る。
 私が身を置くことを許された屋敷から、街へと続く道は短いようで果てしなく長くも感じた。

 今日は無事に戻れるだろうか。

 叶ったところで喜ばれるはずもないのに。出迎えなどあるはずもないのに、何を期待しているのだろう。

 躊躇いを振り払うように前を見据えた先にあるのは闇だけ。それこそが私の進むべき道、光の下を歩めない私にはお似合いだと嘲笑うように待ち構えている。

 町外れには未だ少ない灯の下を通れば、ほら……

『影がない人間などいるものか』

 日の下で私が出歩くことはない。この世に生れ落ちた瞬間から私には影が存在しなかった。

 外の世界へ出られる幸福。

 戦いへ赴く恐怖。

 帰還への不安。

 ――多くの感情が渦巻いている。
 それでも私は戦い続けるしかないのだ。僅かな希望を失わない限り、立ち止まってはいられない。もとより、そんなことは許されてはいない。

 昨日も今日も、明日も明後日も――

 きっと、この命が尽きるまで私は戦い続けている。それこそが、私が人である証明。

 だから、私は人間。
 そうでしょう?
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