熱海温泉 つくも神様のお宿で花嫁修業いたします
「……私も、ここから見える景色が好きです」
ぽつりと言った花の言葉に、薙光がゆっくりと振り返る。
「私、元々は静岡県中部の出身なんですけど、ここに来る以前の数年間は都内に住んでいて……。もうずっと、こんなふうに綺麗な景色に見惚れるなんてことも忘れていました」
苦笑いを零した花は、つくもに来る以前の同じことの繰り返しだった日々を思い返した。
朝起きて、満員電車に揺られて学校や仕事に向かって、クタクタに疲れてまた満員電車に乗って、誰もいない家に帰ってくる。
毎日、ひたすらその繰り返しだ。
疲れきった身体では食事を作ることすら面倒で、適当に出来合いのものを買ってきて済ませたり、酷いときにはインスタント食品ばかりで数日を過ごしたこともあった。
化粧を落とすことも忘れて、泥のように寝たこともある。
ふと夜更けに目が覚めると言いようのない虚無感に襲われて……ああ、こんな日が一体いつまで続くんだろうと、閉め切られたカーテンの隙間から見える、くすんだ夜空を見上げていた。