俺と、甘いキスを。


右京蒼士が黒いミニクーパーに私を乗せて自宅に送ってくれたのは、午後六時頃だった。
家の前に立つ、一つの人影を見た私はギクリと体が固まる。気づかない彼は、私の座る助手席のドアを開けて支えながらシートから下ろしてくれた。
ぎこちない私に気づいてくれた彼が、小声で「どうした?」と耳元で囁く。

その直後。
「こんばんは」
と、その人影が近づいてきた。
硬直する私の体。

──どうして、ここにいるの。

そう思っている横で、右京蒼士が振り返った。

私たちの目の前にいる人物は、彼のようなスマートな体型と違い、百九十センチ近くある身長に鍛えられた体躯をしている。そしてライオンのような鋭い目をした、厳つい顔。

初対面の人は必ず怯えるその男に、右京蒼士は特にリアクションもなく私の腰に腕を回したまま「こんばんは」と返した。彼が私に視線を向ける。
私は眉をひそめて目を逸らした。

「…兄です」


「そうでしたか。妹が階段から落ちそうになったところを助けていただき、ありがとうございます。その上、一晩泊めていただいたとは」
「いえ。本当はもっと早くお送りするはずだったのですが、僕の仕事が終わらずこんな時間になって、すみませんでした」

私は兄、川畑暁に足の捻挫の経緯を話すと、右京蒼士とありがちな挨拶を交わした。

私の体は右京蒼士から兄へと引き渡される。支えられていた手が、離れていく寂しさを感じる。
兄に「花、お礼は言ったか?」と言われて、私は腰を支えられながら頭を下げた。
「いろいろと、ありがとうございました…」

兄は横目で私を見ながら、優しい口調で彼に言った。
「今はあいにく両親が近所へ呼ばれて留守にしています。改めてお礼させていただきたいので、お名前を伺っても?」
話し方に似合わず、目を細めて彼を見る。
右京蒼士も兄を見つめていたが、すぐに目元を緩めた。
「僕は右京といいます。オオトリ電機技術開発研究所で研究員をしています。お礼をされる程のことはしていないので、お構いなく」
彼は運転席のドアを開ける。

兄はそんな彼に、尽かさず口を開いた。
「右京さん、ですね。私は花の兄で、川畑暁といいます。妹を送っていただき、ありがとうございました。奥様にもよろしくお伝えください」
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