桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

光になれる乙女

 螺旋城(ゼルシェイ)は完全に動きを止め、ただの建物と化していた。

 相変わらず堂々とした朱色の時計が、息絶えたスズネのかわりとなって、カチコチと時を刻んでいる。

 時計の針はちょうど、一時ぴったりをさしていた。

 螺旋城の大広間は明るく、ステンドグラスからは明るい光が差し込んでくる。

 という事は、今はきっと午後の一時なのだろう。

 大広間の中央には、スズネが用意した赤いピアノがどっしりと佇んでいる。

 その隣に現れたテーブルの上に、スズネとマユランの殺し合いなど無かったかのように、ジンが昼食を運び始めた。

 食事はどうやらフルコースのようで、まずは前菜が運ばれてきた。

 白と桃色のカラフルなムースが乗った紫色のタルトが中央に置かれ、そのまわりを彩の良い葉野菜が美しく並んでいる。

 銀のカトラリーを使って食事を口へ運ぶマユランにならって、律も食べる。

 今まで味わった事が無いという感動を覚えるほど、出された食事は美味しかった。

 皿の上に並べられた美しい料理を見た瞬間、律は結月が描く絵と、友人たちの笑顔を思い出してしまう。

 今頃、どうしているのだろう。

 彼らもどこかへ攫われてしまったのだろうか。

 それとも、神社本殿に入っていきなり消えた律を、心配しているのだろうか。

 みそぎのためと言われ、霊水を飲まされた途端に、あたりの風景が変わったのだ。

 時の神スズネと名乗るあの、日本の神というよりはヨーロッパの魔女のように不気味な化粧をした女の力によって、ここまで連れて来られたのである。

「ワタクシについて来るのです」

 あの狂った女の少しかん高い、こちらに有無を言わさないような、歌うように響く命令口調の第一声が、頭の片隅にこびりついている。

 従わなければ間違いなく、殺されただろう。

 絶対的な口調を持つスズネのような狂った輩は、知り合いに多くいた。

 驚きと戸惑いは強いが、律はこの現状を夢の中の出来事のように感じている。

 緑色のスープが運ばれてきた。

 香ばしい豆の香りがするそのスープを口に運ぶたび、どんどん力が湧いて来る。

 実体が無いのにおかしな話だが、少しずつエネルギーと勇気が溜まってゆく気がするから、不思議なものだ。

 律は自分と一緒に食事をとっている青白い顔をしたマユランを、そっと見つめた。

 母の敵を取るために、スズネを殺したばかりの少女。

 彼女は静かな様子で、スープを口に運んでいる。

 律はマユランほど自分の母親を大事だと思ってはいないため、彼女の気持ちはとても想像できない。

 だが。

 彼女はずっと大切にしていた母親が、目の前でいきなり殺されてしまったのだ。

 心が張り裂けんばかりに寂しいだろう、と律は思う。

 出来る事なら声をかけてあげたいのだが、何も言葉が思い浮かばない。

 悲しみのどん底に落ちている少女にかけられる言葉など、あるだろうか。

 そっとしておいてあげるほか、無いのかも知れない。

 マユランには律のように、自分の事を心配してくれる友人が、いるのだろうか?

 向かいの席に座って食事をとるマユランから目をそらし、しばらく律は食事に集中した。

 静かだ。

 時を刻む赤い時計のカチコチという音だけが、規則正しく動いている。

 その存在感だけが、どんどん大きくなっていく。

 律は、人間の世界にいた頃はいつも時計ばかりを見ていたことに、今気がついた。

 奇妙な状況に置かれているにも関わらず、頭の中の一部がヒンヤリと冷めている。

 メインディッシュが運ばれてきた。

 オレンジ色のソースがふっくらした白身魚にかかっており、その周りにある少量の豆料理で美しく飾られている。

 それを口に入れた瞬間、ほろりとマユランの両目から涙がこぼれた。

「…………ごめんなさい、律。せっかくいらして下さったあなたと、もっと色々なお喋りをたくさんしたいのですけれど。私ったら涙など流してしまって…………」

 食事をしていた手を置いて、止まらぬ涙をハンカチで拭いながら、マユランをは真っ直ぐ律を見つめて謝った。

「…………泣きたいなら、うんと泣けばいいわ。無理に笑わなくたって大丈夫よ」

 律の目には、マユランが大変立派な少女に映った。

 今までで一番辛い状況に陥っているのかも知れないというのに、自分のことより律のことを気遣っている。

 世の中には、自分が苦しみや悲しみのどん底に陥ったり、過去に無い窮地に追い詰められた途端に、正気を保てなくなって弱者に八つ当たりをして憂さを晴らしたり、何もかもを投げ出したり、関係の無い誰かを呪ったりする者が大勢いる。

 律の母親がまさに、そういう人間だった。

 世界的に名の売れたピアニストだったので、現存のファンも多くいる。

 だからこそ、何をしても許される、と勘違いしてしまったようである。

 暴言による八つ当たりなどして当たり前、自分の物差しで見下した人間など馬鹿にされて当たり前、という態度を崩したことは無い。

 特に、一人娘の律に対する高圧的な態度といったら酷いものだった。

 自分の所有物であるかのように扱われ、律は母親に苦しめられてばかりいた。

 他者の感情などお構いなしで、好き勝手なことばかり言い、やりたい放題がまかり通っていた。

 どれほど律の母親に、周りの人間が振り回されたか、わかったものではない。

 それに引き換え、心底辛いにも関わらず、気遣いを忘れないマユランは、律の母とは真逆の生き物なのだと感じてしまう。

 他者に対する誠意に加え、自分に対する誇りを決して忘れていない。

 律はふと、親友のさくらを思い出していた。

 先ほど目の当たりにしたマユランの、スズネに向けたあの殺意は、さくらは持っていなさそうだけれど。

 母親に対する愛の力が、マユランをあれほど強くしたのだろうか。

 こんな少女は見たことが無い、と律は思った。

 食事は終わりに近づき、チョコレートソースとバニラアイスが乗ったシフォンケーキと紅茶を美味しくいただいた後、律はマユランにこう聞いた。

「ピアノ弾いていい? 食事の御礼に」

 マユランは一瞬目を輝かせ、小さく頷いた。

「ええ。ぜひ! お願い」

 律がマユランにしてあげられることは、たった一つだけだ。

 元気が沸き上がるような曲を、彼女に弾いてあげる事。

 岩時高校筝曲部のメンバーと一緒に、何日も律が試行錯誤しながら作り上げた、岩時神楽のメインテーマ『光になれる』。

 律は厳かにピアノの蓋を開けて鍵盤に指をあて、クライマックスにあたるピアノの独奏部分から、ダイナミックに演奏を始めた。

 マユランは律が演奏する音を聞いた瞬間、雷に打たれたように目を見開き、さっと椅子から立ち上がった。

 まるで、岩時神楽の一節に登場するヒロインのようである。

 混沌の中、神々の意思を束ねようと、筒女神がさっと立ち上がるのだ。

 出来の悪い神々に向かって筒女神は毅然としながら、言い放つ。

『我々は知っています。

 みな弱いこと。

 みな憎むこと。

 みな儚いこと。

 みな苦しむこと。

 みな悲しむこと。

 みな悩むことを。


 でも我々は知っています。


 みな強くなれること。

 みな甦れること。

 みな勇気を出せること。

 みな生み出せること。

 みな力になれること。

 みな応援できること。

 みな回復できること。

 みな愛せること。

 みな光になれることを』


 律の演奏には、筒女神に匹敵するような渾身の力と、彼女の魂が込められていた。

 マユランにかけてあげる言葉は、何ひとつ思い浮かばないけれど。

 この曲を聞いた彼女が、少しでも元気になれますように。


 そんな想いを込めて全身全霊で、律は演奏した。


 
 時計の針はちょうど、二時をさしていた。




 
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