隣の料理人
食事のスパイスは勘違い?

 その女性の住む部屋は、古いアパートだだ。

(はぁ今日も疲れた)

 誰も待っていない部屋に女性が入っていく。手に持っているのは、近くにある弁当屋さんの袋だ。

 部屋に入って、仕事場にしていくポニーテールを解いて、髪の毛を下ろす。

(どんどん。好きだけど・・・今日も、隣の部屋からはいい匂いがしている)

 アパートと言っても、女性の一人暮らしだ。セキュリティには気を使った。
 部屋を借りる時に、隣に音が聞こえないようにとか、周りにどんな人が住んでいるのかを確認していた。

 しかし、匂いまでは気にしていなかったのだ。キッチンは通路側ではなく、ベランダ側になっている。少し変則的な2LDKの作りになっている。
 そのために、ベランダ越しに匂いが漂ってくるのだ。

(美味しそうな匂いだな。今日は、何を作っているのだろう?焼きそばかな?)

 女性は隣に住んでいるのが、一つ年上の男性だと教えられている。

(まさか、美味しそうな匂いさせやがってと怒れないよな)

 買ってきた、”舞茸のり弁”を袋から取り出す。

(私も料理したら。時間がないから無理!)

 という言い訳をし続けて、もうすぐ1年が経つ。
 その間、キッチンを使ったのは3回だけ。

 キッチンではお湯を沸かすだけになってしまっている。

(ゴミ捨てとかでお隣さんに会うけど、料理なんてしているように見えないけどな。でも、ギャップがいいなぁ。彼女とか居るのかな?イケメンってよりは、かわいい系?古川慎くん似で好みだな)

 彼氏居ない歴=年齢の女性には隣の男性に声をかけるなどという高難易度のミッションをこなすことなどできない。

---

(はぁ今日もお隣さんは、美味しそうな物を作っているな。ソースのいい匂いだな)

 男性は、綺麗なキッチンで、封を切ったカップラーメンにお湯を注いでいる。
 3分待てばできるやつだ。

 仕事場から近くだからと借りた部屋だったが、その仕事場が不況の煽りを受けて、田舎に引っ越してしまった。
 せっかく入った会社なので、男性は辞める事なく勤めている。

(通勤時間5分。夢の生活だと思ったのに、いきなり通勤時間30分だからな。それでも幸せだと思わないとな)

 男性が部屋を決めたのは、裏に駐車場がついている事だ。隣は空き部屋だと教えられた、角部屋とそうじゃない部屋のどちらでも大丈夫だと言われたが、角部屋の方が家賃が高くなっているし、駐車場もついていないと言われた。

 男性が部屋を決めてから3ヶ月後に、空き部屋の一つに女性が引っ越してきた。

 年齢=彼女いない歴の男性は、今日もカップ麺をすすって餓えをしのいでいた。

(ごちそうさま!ゴミ出しの時に会う様な子が作った料理ならもっとうまいのだろうな)

---

 今日は近くのスーパーの安売りをしている日だ。男性はカップ麺を求めてスーパーに来ていた。

「あれ?大家さん?」
「古川さん?」

 大荷物を抱えた、大家さんが男性の前でレジを行っていた。

「古川さんも、買い物?」
「はい。安売りだったので」
「それにしては、あまり買っていないようだね」
「えぇ一人暮らしですから、こんな物じゃないですか?」
「そうなのね?」

 二人は無人のレジで支払いを済ませた。

「そうだ。大家さん。車で来ていますから送っていきますよ。荷物もあるし歩いて帰るよりはいいでしょ?同じ場所に帰るのだし」
「そうじゃね。お言葉に甘えましょうかね」
「はい。正面に車を廻してきますね。あっ。荷物、持っていきますね車に積んでおきますよ」
「それなら、私も一緒に行きますよ」

 二人は並んであるき始めた。
 男性は、自分の買い物を手に持って、カートには大量に買っていた、大家さんの荷物を入れている。日用品も多いが、食料も多い。男性から見たら、何ができるのかわからないような、肉や野菜や魚介類が大量にカートに積み込まれている。

「大家さん。こんなに食べられるのですか?」
「ハハハ。孫が、今度遊びに来るからな。その時に出す料理の材料じゃよ」
「あぁそうなのですね。それで、調味料とかも沢山あるのですね」
「なんと言ったかな、あの板みたいな奴。孫娘が持ってきて、これでレシピがいろいろ見られるからって置いていってから、試しにやってみているのですよ」
「へぇそうなのですね」

 男性は、車に大家さんが買った物を積み込んで家まで帰る事にした。

 暫く車を走らせたら
「あっ!古川さん。ちょっと停めて!」
「どうしました?」
「孫娘が高校合格したお祝いを予約してくる!」

 近くのケーキ屋さんで予約をするようだ。

「それなら待っていますよ」
「後で取りに行くから買い物したものをお願いしていいかい?」
「問題ないですよ。冷蔵庫には余裕がありますから」

 男性は自虐的に少しだけ笑ってから停めた車を走らせた。

 駐車場について、大家さんが買った大量の食材や調味料を抱えながら、自分のカップ麺が入った袋を持って部屋に戻る事になった。

「あっこんばんは」

(え?普段はポニーテールだと思っていたけど、学校?に行くときだけど?普段は下ろしている?こんな時間に、デートなのかな?やっぱり彼氏が居るのだろうな)

---

 女性は、今日は仕事が休みだったので、一日部屋で過ごしていた。
 さすがに何も食べないのは辛いがせっかくの休日にお弁当では気分が滅入ってしまう。そう考えて、夕方に外に食事に出かける事にした。自分で作るという発想は女性の頭からすっかり消えている状態なのだ。

「あっこんばんは」

(え?)
「あっこんばんは」

 女性は、荷物を抱えた男性とすれ違った。

 男性が持っていた物を女性が見て少しだけ残念な気分になってしまった。

(やはり、料理を作っているのね。それに、あの量。やっぱり、彼女が居るのね)
(こんなすっぴんで、髪の毛に縛った跡を残して、普段着のまま近くの定食屋に食事に出かけるような女じゃ彼女にはなれないよね)

 女性は、マンションの敷地から出て、どっちに行こうか迷っていた。駅方面に向かうか、スーパー方面に向かうかだ。

 スーパー方面から小柄な女性が歩いてきた。

「大家さん。こんばんは」
「はい。こんばんは。森川さん。今からデートかい?」
「違いますよ。今日お休みだったから、なにか買ってくるか、食べてこようか、考えていたところですよ」
「そうなのかい?」
「はい」

 大家さんは少しだけ考えていた。
 女性は、孫娘よりも少しだけ上だが、最近の女性には違いない。

 大家さんから見たら、15歳も23歳も大した違いはない。

「そうかい。森川さん。ちょっと私の手伝いしてくれないかい?」
「手伝いですか?」
「孫娘の合格パーティを開くのだけど、その時に出す料理を食べてみて感想が欲しいのだけどダメかい?」

 女性は少しだけ躊躇したが、以前に食べた大家さんからもらった”お煮しめ”の味を思い出して、承諾してしまう。
 そして、外食をするという計画から、大家さんの家で食事をするという話になってしまった。

 一通りの食事を終えて、女性は食事代を払うと大家さんに言ったのだが
「いいよ。意見ももらったし、食事代なんていらないよ」
「そう言われても」
「そうかい?」
「はい」

 大家さんは少しだけ考えてから
「それなら、明日ゴミの日だろう。ゴミ出しを頼めるかい?」
「もちろんです」

 女性は、明日の朝のゴミ出しの約束をして、少しだけ幸せの気分で部屋に帰った。

--- 翌朝

 男性はいつもの時間に起きて、いつもの様に支度をして、部屋を出る。ゴミの日なのはわかっているが自炊をしていない男性の1人ぐらいではゴミは殆ど出ない。月に一回程度で十分なのだ。

 女性はいつもよりも早く起きて、大家さんの部屋に行った。
 約束していたゴミ出しをするためだ。

「おっ」

 男性が扉を開けると、大きなゴミ袋を持った女性がドアにぶつかりそうになっていた。

「あっ申し訳ない」
(やっぱり、あの匂いは、この子からだったのか?大学生なのに毎日料理を作るなんて)

「いえ、大丈夫です」
(社会人だと聞いていたけど、魚とか匂いがしてくる、やっぱり料理しているみたいだね)

「おはようございます。ゴミ。持ちましょうか?」
(少しでも話せるチャンスだからな。彼氏が居るとは思うけど)

「いえ・・・。あっそれなら、これお願いします」
(そんな捨てられた子犬みたいな顔されたら・・・。私のゴミは恥ずかしいけど、大家さんのゴミなら・・・)

「わかりました」
(生ゴミって事は、昨日の夜に作ったのかな?)

「あっありがとうございます」
(優しいな。勘違いしちゃいそう)

(話が続かない・・)
(なにか話さないと・・)

 二人は黙って、階段の方に歩いていく。

「あっ」
「どうしました?」
(私、なにかまずかった?)

「いえ、なんでもないです。学生さんですよね?」
(俺は、いきなり何を聞いている!?馬鹿なの?馬鹿なの?ほら、困っている)

(え?私の事?)
「え・・・いえ、働いています。社会人一年目です」

(え?)
「そうなのですか?」
「はい。あっゴミ重くないですか?」
(・・・。大家さんのゴミだから大変かな?)

「いえ?平気ですよ。でもすごいですね。一年目で、しっかりされていて」
(すごいな。一年目なんて大変なのに、料理を毎日しているみたいだし)

「いえ、そうでもないです」
(仕事は慣れちゃったけど、食べ物が・・・なぁ)

 二人は黙ってゴミ捨て場まで歩いた。
 ゴミ捨て場では、大家さんが掃除をしていた。

「あれぇ二人ともおはようさん」
「おはようございます」「おはようございます」
「古川さん。昨日は荷物ありがとうね。森川さん。ゴミ捨てありがとう。帰りに寄ってね。お煮しめ作っておくから!」

 大家さんは掃除をしながら、昨日お互いに聞いた、料理をしない話や彼氏や彼女が居ないと言った話をしてしまった。

「え?」
「え?」

 二人に微妙な空気が流れる。
 お互いの勘違いが一気に解消されていった。

 一年後に角部屋の表札が”古川・森川”という物から”古川”に変わった。
 そして、使い込んだキッチンからは匂いではなく二人の笑い声が聞こえてくる。

fin
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