策士な御曹司は真摯に愛を乞う
ほんの少しの反応でも、見逃さない。
そんな意気込みで、私は彼の横顔を食い入るように見つめる。
夏芽さんは黙っていたけど、右の口角がクッと上がった。
前を見据えたまま、ふっと目を細め、


「黒沢さんは、俺が君をずっと好きだったこと、忘れてしまった?」


先ほどの、なにかを諦めたような横顔と違って、一周回って悟りを開いたような。
穏やかな表情に、私は思わず息をのむ。


「い、いえ。それは、だって……」


それを言われたのは、今朝のことだ。
困惑するほど強い熱情をぶつけられたのに、忘れるわけがない。
だけど、彼が言いたいのは今朝のことじゃないと感じて、その先をグッとのみ込んだ。


違う。もしかして……。
私はフロントガラスに向き直り、無意識に額に手を当てた。


今朝、夏芽さんは、去年の八月に私たちが『出会った』ことを話してくれた。
その後、彼との間に起きたすべてを、私は忘れている。


私だけがわからないことに焦れる。
私は思い出したい一心でも、夏芽さんに疑問や疑惑を我儘にぶつけること、それ自体が、彼をますます傷つけるのだと気付いた。


「ごめんなさい。私……」


忘却。
彼を忘れた私は、罪人なのかもしれない――。
謝罪で逃げる私を気にせず、夏芽さんは無言で、淡々とハンドルを操作していた。
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