【完】桐島藍子の記憶探訪 Act1.春
「なんて…」

 口をついて漏れた言葉に、葵が振り返った。
 みっともなく流れ続ける涙も鼻水も気に留めず、隠す素振りもなく僕の目を見る。

「いや、ちょっとね。葵は今回、自分の力でここに至れた。諦めることすら視野になかったから、至ることが出来たんだ」

「まこと…?」

「葵が、自分の力で、自分の意志でここに来たがったから、それが実現した。きっと、僕らは――むぐっ!」

 言いかけた途端、葵の両手によって挟まれる頬。
 それは徐々に力を増し、少しばかりの痛みも蓄える。

 そんな葵は、僕の目を鋭い眼光でもって射抜いていた。
 眉を寄せる目元は困っているようで、力の入った口元は怒りを孕んでいるようで。
 やがて、はっきりと開かれた口から零れるのは、

「私、まことが好きだよ」

 先に受けたものと同じ言葉を纏った、全く異なる感情。

「優しいまことが好き。小さいことを意外と捉え損なってないまことが好き。晩ご飯に誘ってくれるまことが好き。出会って間もないけど、確かで正直な感想」

「…気持ち、とは置いてくれないんだね」

「うん。愛とは少し違う。羨望の眼差しだよ」

 葵はきっぱりと言い放った。
 しかし、それだけでも、それだとしても、僕には過ぎたる言葉に違いはなかった。

 なかった筈なのに。

 でも、と繋げる葵の言葉に、僕はようやく現実を見る。

「すぐに謝るまことは嫌い。自分を非力だと主張するまことも、何も出来ないと思い込んでるまことも、嫌い」

「それは…随分と手厳しいな。自分に自信がないのなんて、当たり前じゃないか?」

 と問えば。
 葵はノータイムで首を振って両手を離し、起き上がった。

「正当な働きには、それに見合った自覚も必要だと思う。ただ他人から認められても、自分が信じてあげなきゃ本物じゃない」

「…………」

「悪いところは悪いところ。でも、良いところも悪いところだと思っちゃうのは勿体ない。良いところを良いところだと自覚して、認めてあげなきゃ――いつまでたっても、何をしても、きっとずっと報われない」

 葵が諭すのは、僕の幼少よりの悪い癖だ。
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