果たせなかった約束~アイドルHinataの恋愛事情【4の番外編】~

12 ジ・エンド。

 
「あぁ……やっぱ、降ってきたな」
 
 ファミレスを出たところで、盟は空を仰いで呟いた。
 その呟きとほぼ同時に、わたしの額にも、……ぽつっ。
 わたしも盟と同じように見上げると、わたしの一歩前にいる盟の、そのまたもっと向こうの空が不気味なほど暗い。
 
 紙袋からさっき買ったマフラーを取り出して、盟の首にかけた。
 盟はマフラーが雨で濡れてしまうことを気にしていたけれど、折りたたみの傘なら持ってるし。
 風邪を引いてしまったら、仕事だって辛いだろうし。
 
 それに、『歌は苦手だ』って言うけど、盟のこの声、わたしは結構好き。
 低すぎなくて、ほんの少しだけだみ声っぽいの。
 買い物中のスーパーでHinataの曲が流れてきても、盟がどこを歌ってるのかすぐに分かる。
 年末は歌番組の特番も多いし、年越しライブだってあるから、喉を傷めないようにできる限りのことをしてあげたい……と思う。
 
 わたしはカバンの中から折りたたみ傘を取り出して、盟に手渡した(……あ、ちょっとだけ面倒そうな顔をしてる)。
 盟に傘を開いてもらってる間に、わたしも……と、紙袋からワイン色のマフラーを出して首に巻いた。
 
 ところで……本当に、行く気なのかな……その、えっと……ラブホテル。
 例えば……もしも、なんだけど、その……ホテルに入っていくところ(もしくは、出てくるところ)を撮られちゃったりして、週刊誌やスポーツ新聞にでも載っちゃったらどうするんだろう。
 普段の買い物とか、動物園やなんかでデートくらいなら、まだ『お友達です』なんて言えるだろうけど。
 さすがに『ラブホテル』ともなると……誤魔化しようがない……よね。
 あ、でも、『Hinataのエロ王子』なんて言われてる盟だから、そのくらいは『ご愛敬』ということなのかも。
 
 そんなことを考えながら盟の方に視線を向けると、既に折りたたみ傘を開いて差していた盟はすぐ目の前にあったカフェのガラスを見つめていた。
 
 盟の視線の先にいたのは。
 さっき、わたしたちの前から走り去っていった、Andanteのなーこ。
 ……と、小柄で若い……18、9歳くらいの、男のコ。
 どこから見ても、『美男美女』……ううん、『美少年美少女』のデート風景。
 
 ……なんで? なーこは盟のことが好き……なんじゃないの?
彼女(わたし)』がいると分かったら、さっさと次?
 それとも、その『美少年』と付き合っていながら……盟のことを?
 そういえば、なーこはHinataの高橋くんと付き合ってるんじゃなかったの?
 
「――――紗弥香っ、行くぞっ!!」
 
 突然、盟はわたしの腕をグッと掴んで歩き出した。
『一秒でも早く、一メートルでも遠く、この場所から逃げ出したい』。
 わたしの腕を掴む手にこめられた力と、早まる歩調が、そう言ってる。
 
「―――盟っ? ちょっと……どうしたの?」
 
 無言で歩き続ける盟に、わたしは口を開いてしまった。
 盟は立ち止まって、困惑したように視線をさまよわせて……『ちょっと待って』と言うように、わたしに手のひらを向けた。
 俯いて、手に持っていた傘をわたしに差し出して、それをわたしが受け取ると、盟は頭を抱えてずるずるっとその場に座り込んだ。
 
 雑踏の波の音が聞こえるはずなのに。
 降り注ぐ細かい雨粒が冷たいはずなのに。
 わたしの中に入ってくる情報は、座り込んだまま微動だにしない盟の姿だけ――。
 
「……盟?」
 
 無理やり絞り出すようにして声をかけると、ほんの少しだけ顔を上げた盟は、ゆっくりと口を開いた。
 その口から出てきたのは。
 この人と付き合い始めてから、ずっと。
 いつかは聞かされることになると覚悟を決めていた言葉。
 
「……ごめん、紗弥香。ホントに……ごめん。おまえのこと、嫌いになったわけじゃないんだけど……でも、ダメなんだ――――」
 
 
 
 
 
 
 盟のいない、盟の部屋。
 そんなの、この一年半で何度も何十回も経験済み。
 でも……『寂しい』と思うことはあったけど、『悲しい』と思うのはきょうが最初で、最後。
 
 弟の健太(けんた)に実家から取ってこさせたボストンバッグに、この部屋に置いてあったわたしの荷物を詰め込みながら、数時間前に別れた盟との会話を思い返していた。
 
『あいつのことが……奈々子のことが好きなんだ』
 
 盟がハッキリとそう言ったこと、もちろんショックではあったけど、どこかでホッとしてる自分がいた。
 もしも、『何でもないんだ』と盟が言っていたら。
 ……きっと、盟とわたしの間にはまた『見えない壁』ができていたと思う。
 
 以前は、それでもいいと思っていたけれど……いまのわたしには耐えられそうにない。
 
 一度崩れた壁が再び作られてしまうのも。
 わたしに向けられた視線が別のところへ向けられてしまうのも。
 そんな状態で、抱かれ続けることも。
 
 今朝、出かける前に洗えないまま置きっぱなしだった、色違いでお揃いのマグカップ。
 わたしが初めてこの部屋に来た時は、別のカップにミルクティーを作ってくれて、二人で分け合って飲んだっけ。
『一人暮らしだから、カップはこれ一つしかないんだ』なんて、苦笑いしてた。
 わたしが頻繁にこの部屋に来るようになって、カップ一つじゃ不便だから、って……このお揃いのマグカップを盟が買ってきてくれたんだよね。
 受け取ったとき、『ここに、居ていいんだ』って言われてるような気がして、うれしかった。
 それが、『形だけの彼女として』と分かっていても。
 
「『形だけの彼女』で満足だったはずなのに、欲張った罰が当たったのかな……」
 
 いつもより丁寧に洗ったマグカップを拭きあげて、わたしが使っていた方だけ、ボストンバッグに入れた。
 身に着けていた紺色のエプロンも外して、軽く畳んで……。
 
 ――――泣かない。
 悲しいよ。苦しいよ。……だけど、わたしと盟にとって、『別れ』が最善の選択だったってことは分かってる。
 無理して付き合い続けたって、きっとお互いに辛いだけ。
 
 白い便せんに一言だけ書いて、この部屋の合鍵とともに、封筒に収めた。
『ありがとう』――――。
 
 一緒にいられた時間はとても短かったけど。
 あなたと出会えてよかった、と思ってる。
 大晦日に『あさ田』のそばを食べさせてあげられなかったのだけが、心残りだけど。
 もしも、縁があるのなら、きっとまた……会えるよね。
 
 
 
 
 
 
「ねぇちゃん、おっせーんだよ。男んとこから荷物取ってくるだけで、どんだけ時間かかるんだよ。雨、マジ降ってきたじゃねーか」
 
 マンションから少し離れたところで待たせておいた弟の健太が、不機嫌そうに言った。
 
「まさか、ねぇちゃんが、あのHinataの中川盟と付き合ってたとはね。灯台もと暗し、だぜ」
「別に、こんな平凡なOLと付き合ってたって、大した記事にもならないでしょう?」
「そーだな。面白くもなんともねー。っつーか、それより、中川盟から何か聞いてねーの?」
「……何が?」
「同じ『Hinata』の高橋と、『Andante』のなーこのこと。あいつら、付き合って長いんじゃねーかな。高橋の実家に入ってくとき、なーこが自分で門を開けて入ってったんだよ。『慣れてる』感じ? 何度も来たことがあるっつーか……。ありゃぁ、結婚秒読みかもしんねーなっ」
「………………」
「……なんだよ。あ、そんな特ダネ撮った俺って、やっぱ、『すっげーっ!!』って感じ?」
「…………健太、いまのうちに転職しておいた方がいいと思うよ」
「はぁ? 何でだよ?」
「あの、ほら、昔は動物とか風景の写真、よく撮ってたでしょう? わたし、ああいうの、好きだよ」
 
 わたしがそう言うと、健太はほんの一瞬、照れくさそうに笑って、無言でわたしの手からボストンバッグを取って歩き出した。
 
 理由は分からないけど、盟が『誰にも言うなよっ』って言ってたから。
 あの二人が『兄妹』だなんて、健太にも、もちろん他の誰にも、言わない。
 わたしと盟との、『最後の約束』……だもん、ね?
 
 
 
 
「……何よ、調子良さそうじゃないの」
 
 盟と別れた三日後のお昼前、実家の自室で荷物の整理をしていたわたしを訪ねてきたのは紘子だった。
 
 この三日、土曜日の夜に一緒に帰ってきた健太による『ねぇちゃん、男と別れたんだって』発言(もちろん、相手が『中川盟』であることは、帰り道で厳重に口止めしておいたけど)のせいで、家中みんなでわたしに気を遣ってくれちゃって……なんだか落ち込むに落ち込めなくて。
 昨日は月曜日だったから、本当は仕事に行かなきゃいけないはずだったんだけど。
 気持ちの整理がつかないまま、会社に――盟と過ごしたあの町に、行けるわけなくて。
 まだまだたくさん残っている有給を使って……昨日、そして今日と、休んでしまったのだ。
 もちろん、仮病で。
 
「あんたが二日も休むなんて、相当ひどく寝込んでるんじゃないかって……栗木課長、心配してるよ」
「……紘子、仕事は?」
「今日は、ここに来るのが仕事。『様子を見て来い』って、あんたの上司からの命令。年末だからね、総務と違ってウチの営業部はヒマなのよ」
 
 紘子はベッドの端に座っていたわたしの隣に腰を下ろして、続けた。
 
「明日も出られそうにないなら、溜まってる総務の仕事、営業が請け負うことになってるんだけど?」
「ん……ごめん。明日はちゃんと行けるから」
 
 わたしがそう言うと紘子は、ニッと笑った後、すぐに真顔になって、
 
「……で? 二日も休んで、この荷物。ただの『里帰り』じゃないわよね?」
 
 と指差したのは、まだ片付けてる途中だったボストンバッグ。
 
「もしかして、別れた?」
「…………うん」
「あの、木下さんと?」
「…………他に誰がいるのよ」
「ふぅ~~ん、へぇぇ~~。まぁ、よく続いた方だよね。なぁんかあの人、軽そうだったもん」
「……最初に見つけてきて勧めたのは、紘子なんだけど」
「あれ、そうだった?」
 
 紘子はわざとらしく首をかしげた。
 
 でも……そっか。
 あの時、紘子が『罰ゲーム』を仕組んでくれてなかったら。
 盟と――幼馴染の『メイくん』と、この東京で再会することも……なかったんだよね。
 
「ま、そんなことだろうと思ってさ。紗弥香が元気になれるスペシャルアイテムを持ってきたのよ」
 
 わたしの内なる紘子への感謝の気持ちに気づいているのかいないのか、紘子は自分のカバンの中から何かを取り出した。
 
「じゃじゃ~んっ! あんたのデスクの引き出しから持ってきた、Hinataの中川盟のブロマイドっ!!」
「………………………………」
「新しい恋が見つかるまでは、とりあえず、この『中川盟』眺めて元気出しなよっ!! ……って、ちょっと紗弥香、何で泣いてんのっ!?」
 
 言われてようやく、自分が涙を流してることに気づいた。
 
「えっ、何、やっぱり木下さんって、中川くんに似てた? 思い出させちゃった?」
「…………違うの。『似てる』んじゃないの」
 
 不思議顔の紘子に、わたしはドレッサーから小さな手帳を取り出して、そこに挟んであったものを見せた。
 
「……何これ。木下さんと撮ったプリクラ? ……って、えっ、ええぇえっ!?」
 
 プリクラとブロマイドを見比べて、紘子は絶句。
『営業スマイル』の盟と、その横顔を驚愕の表情で見つめるわたし。
 居酒屋で出会った彼が『国民的アイドル』だと知った瞬間のプリクラ。
 
「紘子……、わたし……わたしが付き合ってた人はね……」
 
 自分が付き合っていた人の本当の名前を、紘子の前で初めて口にしながら、わたしは声を上げて泣いた。
 
 あの日から始まった、居酒屋で出会った『彼』との関係も。
 もうこれで、本当に、終わり……なんだ。
 
 
 
 
 
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