その上司、俺様につき!
そもそも、出会いのシチュエーションからして、夢のようなものだった。
とんでもないイケメンと、突然の出会い。そして、偶然の再会……。
一緒に仕事をするようになって、最初は先入観も手伝ってか、彼の嫌なところばかりを探していた。
”こいつはいけ好かない嫌な奴”と、自分に言い聞かせて過ごしていた。
でも彼の能力を認めざる得ないことばかり起きて、魅力をこれでもかと見せつけられて―――。
「……っ!」
いつの間に、こんなにも心を奪われてしまっていたんだろうか?
気持ちは言葉ではぐらかせても、頬を流れる熱い涙はもう誤魔化せなかった。
(私、泣いちゃうくらい……いつの間にか、久喜さんのことめちゃくちゃ好きになってたんだ……)
腿に当たるリノリウムの床の冷たさが、今は心地いい。
そのおかげで熱に浮かされた思考が、徐々に冷静さを取り戻していく。
「これから……どうしよう?」
呟いてみても、答えをくれる人などいない。
(久喜さんなら……何て言ってくれるかな……)
こんな時までも彼のことを考える自分に、ふっと自嘲の笑みを漏らした。
それでも、彼の言葉は一語一句覚えてしまっている。

『……と言うより、どうしてくれるんですか、じゃなくて、あなた自身はどうしてほしいんですか?』
『君がもし、本気でやりたいことがあるなら、私は全力で応援したいと思っている』
『行ってもいいかどうかではなく、君が来たいか来たくないかだ』

(おそらく彼なら―――)
己の意思に従えばいいだけのこと。
彼ならきっと、そう言うはずだった。
(私はどうしたいんだろう……?)
自分のことなのに、どうしたいのかはっきり答えが出せないなんて。
彼のことは好きだ。でも、彼は私をあくまでも部下としか見ていない。
気持ちを伝えてもギクシャクするだけだろうし、最悪、また異動させられてしまうかもしれなかった。
(そんなリスクの高いこと、私にはできない)
では、どうするのが一番ベストな方法なのか。
(それが簡単にわかれば、苦労しないのに……)
いずれにせよ、このままだらしなくへたり込んでいても何も生まれない。
私は姿勢を正して立ち上がると、ふうっと大きく息を吐いた。
(私なりに彼の役に立ちたい……)
彼に直々に任命された補佐役を、最後まできっちり努めたい。
遠藤を指名してよかったと久喜さんに満足してもらえるように。
あんな奴を選ぶんじゃなかったと後悔されないように。
私にできる精一杯で、最後まで彼をサポートしたい。
(私がどうしたいかは、それから考えたってきっと遅くないはず)
これが、私の嘘偽りない意思だ。
(すっきりした気持ちで、また一から出直そう―――)
これから私に必要になるのは、浮ついた恋心ではなく、真面目な忠誠心だった。
乾きつつあった涙を拭い、せっかくだからと、階段でロッカールームまで向かうことにする。

『どうして私を補佐に指名したんですか?』

ふいに、これだけは彼に確かめなければと、いつだったか心に誓った疑問が蘇る。
(……でも、聞いたところでどうしようっていうの? 無駄になるだけじゃない)
決意とは裏腹に胸がチクッと痛んだが、私は敢えて気づかないふりをした。
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