消えた卒業式とヒーローの叫び

「初めまして。本日はお忙しいところすみません。よろしくお願いします」

 淡々と礼儀として挨拶ができる上原くんを、純粋に尊敬した。私も何かを言わなければと、口を開きかけるも、先生によって機会を奪われる。

「よろしくお願いします。数学を担当している生田です。えっと、上原くんと……あれ、前田?」

 顔は見ないように相手の靴元を見ていたことが、間違いだったのかもしれない。その声の記憶を辿る前に、顔を上げた。

「前田だよな。久しぶりじゃないか、元気にしてたか?」

 明るく私の名を呼ぶのは、中学三年生の頃の担任だった。進路の懇談ほどしか話したことが無かったにも関わらず、名前を覚えていてくれるとは驚きだったが、すぐに日彩の存在を思い出す。


 生徒からも先生からも愛される前田日彩には姉がいて、それは私だったというだけのことだ。

「は、はい」

「そうかそうか。良かった。じゃあ早速行くか。丁度、三年生が体育館で全体練習をしてるよ」

 上原くんの自転車を校内の駐輪場に置き、私たちは体育館へと向かった。

 異国に来たわけでもないのに、肺に入る空気が何だか違っている。

 外靴がむき出しになった下足箱、錆びた柱、葉を散らした木、真っ白なグラウンド、洗浄中のウォータークーラー。古い校舎の廊下は少し暗く、そこを通って体育館に向かう。


 全てが懐かしかった。大層な思い出はなくとも、毎日通っていた場所というだけでそこは大事な空間だった。

 三年弱の間、足を踏み入れなかったその空間は、多少の変化はあれど、その存在は変わらない。

 微かに歌声が聴こえてくる。

 砂の被った石段を上り、私たちは体育館の扉を引いた。


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