可愛らしさの欠片もない
・人間観察

「おはよう。…ねえねえ、知ってる?」

まずいわ…またなの?朝からこんな言葉を発するのは“彼女”しかいない。彼女には聞いてほしいことがいつもあるらしい。何かまた新しい“情報”を仕入れたようだ。存在を気づかれない内に先に出なきゃだ。
大抵の噂話の発端は、こうしてここから始まるのだ。そう、彼女が持ち込んでくる。確かな話は一言で終わる、核になる部分のみ。あとは想像で膨らませた物語となるのだ。

「…な~に~?」

聞く側も慣れたものだ。

「あのね……大島さん、離婚するんだって」

はい、ここで終わってもいい話。嘘…本当?なんて返してはいけない。少しの溜めは勿体ぶってると思わせたいから。『◯◯だって』、と言ってる段階で、きっとまだ不確かな話だ。一体どこから仕入れてきた話なのだろうか。あ、聞き耳を立ててる場合じゃなかった。急がないと。

「不倫でもしたのかもよ?」

…恐ろしい。真意も解らないのに、まずそうだろうと決めつけて人に話してしまう、『◯◯かもよ』。それを聞いて、更に広めるかは聞いた人による。幸い、というか、今、ひき止められている女性は聞くだけの人で、無責任にこの話を垂れ流す人ではない。私の頼れる先輩だ。噂好きの人なら興味津々で聞き返しているだろうところを受け流す。
ファスナーを下ろし足元まで下げたワンピースから足を抜いた。…おっとっとっ…よろめきながらステップを踏んでる場合ではない。……静かにしなくちゃ…。

「ふ~ん、そうなんだ。あ、ごめん…、私、行かなきゃ」

「あ、そうなの?早くない?」

「急いでるから。それに時間、そんなにないわよ?」

「え?もう?嫌だ大変…」

まだ話し足りない、ここからよってところで断ち切られてしまった。さぞや消化不良だろう。あ、まずい、急げ…。このままではこっちにお鉢が回って来そうだ。

「あ、ねえ?」

わっ、居ること知ってたんだ。ひょいとロッカーの端から顔が覗いた。見つかってしまった。

「あ、はい!」

返事は基本はっきりと、だ。

「聞いてた?聞いてたでしょ?」

私も先に出た先輩同様、急いでいるふりをした。まだ掛けていなかったワンピースをハンガーに掛け、ロッカーからポーチを取り出すとガチャガチャと慌てて鍵をかけた。…急ぐと中々回らない…挙げ句…抜けない。ふぅ、古いロッカーだ。要領が必要だ。
時間ギリギリまで、嫌な話を聞いている場合ではない。そんな気持ちをそちらで察知してくれたら助かります。

「あー、いえ、私…、当番だから行きますね」

「あ、そう、ね」

ポット、お湯の用意をしておかないとなので、と付け足した。

「…な~んだ、みんな忙しいのね…」

そんな声が後ろで聞こえた。…ふぅ。
そう、忙しくなくても忙しいのです。
あなたもそろそろ着替えた方がいいと思いますよ?
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