旦那様は懐妊初夜をご所望です~ワケあり夫婦なので子作りするとは聞いていません~

 景虎に本を渡したあの日。会社を出たら日が傾きはじめていた。

 もう会わないと決めたけれど、結局私は社長秘書で、彼は副社長。同じフロアに勤める以上、全く顔を合わせないというわけにはいかないだろう。

 数か月後には結婚退社する予定だ。それまでどういう顔をして出勤すればいいだろうか。

 早く気持ちに踏ん切りをつけた方がいいと思って、勝手に別れの日を今日だと決めた。なのに私は彼への恋慕を捨てきれる自信が全くなかった。

 じわりと涙がにじむ。歩いて帰られる気がしなくて、タクシーを拾った。運転手さんしかいない空間に安心した途端、涙がぽろりと一粒、膝の上に置いた手の甲に落ちた。

 実家へと行先を告げて五分後、バッグの中で携帯が鳴った。見ると、知らない番号からの着信だった。

 いつもなら知らない番号からの電話など出はしない。けれどその時だけは、自然と指が動いていた。

『……はい』

『綾瀬か。今どこにいる』

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