ココアの味
 昼過ぎから靄はあたりを包み、下校時には町いちめんに白いベールが降りたようだった。霧雪である。それから三、四時間あとになってもまだ降りやまず、そのうちに見渡す限り真白に遮られてしまった。
「降れ降れ、もっと降れ。」
 少年はむしろ、真白にぼやけてしまう世界がありがたかった。もうすぐ少女はこの坂道を登って来る。部活が終わって自宅までの帰り道、少女の坂道はほんの一瞬の一本道だ。少年は霧雪を避けて、団地の階段の踊り場から眼をこらしていた。
 少女が来た。
 少年は躍り出た。
 少女は雪煙の中の咄嗟のことで、びくっと肩をすくめてたじろいだ。少年はこの雪煙の中を、自分が少女を護衛するつもりで立った道だから、思いもかけず彼女を怯えさせてしまったことを恥じた。しかしすぐに少女は、騎士のようにいかめしく立つ少年の男らしさを見初めた。そして少女はその証として、姫君のすまし顔で前に進み出た。少年と少女は街灯に照らされて、主役の二人となった。
 二人は並んで歩いた。少女の自宅までの短い道のりである。半ばまで差し掛かっても、二人は一言も話せないでいた。
 やがて少年の勇気が勝って、沈黙は破られた。「おつかれ」とぶっきらぼうに、少年が少女へ差し出したのは缶のココアだった。それは少女の冷えた体の芯や指先を暖めるための、そして少年の心のうちを伝える形見としての贈り物だった。
 だが、間の悪さは少年の不器用の骨頂で−。
 団地の階段の踊り場で、少年の手を温めていたココアは、少女の手に渡った時にはすでに冷めていた。しかし、少女の小さな手は毛糸のミトンで、彼女の両の掌につつまれたココアはそのぬくもりよりも、少年の心の形見として残った。
 初心な少年が自分の不器用を恥じている時、少女が心のうちにぬくもりを感じ取っていることは、一生明かされることのない童話だろう。
「寒いね。寒くない?」
 と、今日の天候にはふさわしいが突拍子もなく、少年は少女に声をかけた。二人は瞳を見交わすために立ち止まり、そして歩き出した時にはどちらからともなく、手をつなぎ合っていた。少女の小さな手は毛糸のミトンで、少年の不器用な手は毛糸の五本指だったが、二人はお互いのぬくもりを肌で感じ合うように、無口だった。
 霧雪は降りしきっていて、見上げる先は白い闇なのだが、街灯は煌々と坂道を照らしていた。二人はただ、その照らされた道をまっすぐに歩いてゆくだけでよかった。時折強く吹きつける風に、二人は向き合って身をこごめやり過ごす。二人には、物語に付き物の災難がありがたかった。
 少女の自宅の近くまで来て、少年は言葉を探していた。それよりも早く少女はミトンを脱いで、指先を少年の頬に触れた。
「ありがとう。あったかいよ。」
 少女のしぐさは何気なかったが、思いがけず目を丸くしている少年を見て、自分のおこないが大胆すぎたかと顔が紅らんだ。すると少女はますます、少年の胸の高鳴りが手に取るようにわかってくるのだった。そして少女は、心のうちを伝える形見として、缶のココアを贈り物にした。
 少年は雪の坂道を勢いよく滑り降りた。うっかり足を取られたら、ココアをこぼしてしまいそうだ。少年は缶をトロフィのように握りしめた。
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