男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

82、舞台 ②

 順番待ちして並んで購入した劇場のチケットは、幸運なことに立ち見を免れた。
 一階後方の右側。クッションの薄い椅子に、申し訳ない程度に後ろに傾斜した背もたれである。
 前の席の頭が舞台にかかっていてあまり良好であるとは言えないが、チケットを手にして椅子に書かれた番号を確認しながら双子をエスコートする。既にすわっている人の膝にぶつかりそうになりながら進む。
 しり込みしたアンジュの手を引き自分を跨がせ、ロゼリアにはどうだという笑顔を向けた。
「狭い、臭い、暑いな」
 そういいつつも、ジルコンは笑顔である。
 
 舞台はまだ緞帳が下りていて開始までまだ時間があった。
 アンジュとロゼリアは初めて入る劇場の空間の広さと人の多さに、眼を丸くして四囲を見回した。
 エールの文化芸能はアデールとは比べることもできないほど、豊かで深そうである。

 開始のベルがジリジリと鳴り、劇場の客席の灯りが吹き消されていく。
 アンジュは両手を重ねて背を伸ばして居住まいを正している。
 ロゼリアはひじ掛けの具合を確かめた。
 ひじ掛けは、どちらか片側だけが自分の分の様である。
 ロゼリアの隣は20代と思しき女性とその彼氏の組み合わせである。
 ロゼリアはジルコン側のひじ掛けに腕を置くことにした。

「すごい、満員だね。そんなに人気な演目なの?」
「最近始まったものだが、ただの物語だが、戦争に疲弊した人々の生活に活力を生むには、仕事が必要だとは思うが、ただ単に仕事があるだけでは駄目だ。生きる楽しみがあれば、ますます日々を頑張れると思わないか?」
「……見た目にも舌にも美味しい食事、精巧な細工物、きらびやかな衣装、異国情緒あふれる外国の文物、とか?」
「その通り。そして、それを体現する美しい人がいれば、人々は熱狂して当然だ」
 緞帳が開けていく。
 ジルコンはまだ誰もいない舞台を見ていた。
 どこかの、異国の、王城を模した大がかりな舞台演出。
 楽し気な音楽と笑い声が聞こえる。

「彼女はまさしくそれを体現する。貧しい下町で育ち、夢に胸を膨らませ、その眼に分不相応な野心できらめかせていた。人々は彼女に熱狂する……」
「彼女とは……」
 ずくんと心臓が収縮する。
 ロゼリアは舞台の光に照らされるジルコンの顔を見た。
 そのとき、おおきな拍手が会場を包む。ジルコンの手はピクリとも動かない。じっと舞台を見つめている。
 ロゼリアも何に引っかかりを感じたのかわからないままに、舞台に目を移した。


※※※


 長い黒髪を結い上げ、贅を凝らした朱色のドレスに身を纏う美しい姫、シーラがいた。
 彼女は愛らしく明るい、朱色が似合う姫だった。

 10に満たない頃から他国から縁談の申し込みは途切れない。
 朱の姫シーラのエシル国は人も物資も集まる豊かな国。
 花をくちばしに咥えた花喰い鳥が国旗の、平和な国だった。
 幼いシーラが恋するのは、作物の育たぬ荒れた土地に山がちな隣国、ラウス国の青の王子ジュリアス。
 ラウス国の国旗は、土地柄を現した互いに尻の針を突きつけ合う二匹の青いサソリ。主要な産業は鉄鉱石から鉄の道具をつくること。
 エシル王は、5人の兄妹たちの中で末っ子の朱の姫シーラを溺愛した。
 同じぐらい豊かな国に嫁がせ、娘の幸せを願っていた。
 シーラとジュリアスは2歳違いで相性がよさそうだが、ラウス国は華やかさに欠けた国。
 愛らしい娘を薄汚れた国へ嫁にやるわけにはいかない。
 父王は、シーラの気をひけそうな貴族や他国の王子を呼んで、ことあるごとに華やかな夜会を開く。
 エシルの王宮では夜会の度に口に付けられない大量の食事が捨てられた。
 一度袖を通した朱の姫のドレスは惜しげもなく侍女に与えられた。

 王宮で贅沢三昧に暮らすエシルの王侯貴族たちには民の不満も苦しみも届かない。民は絞ればいくらでも油がとれる魔法の豆つぶのようであった。
 
 だが、エシル王の平和な御代は永遠につづかない。
 シーラが13の年に50年に一度の大寒波が訪れた。
 どこもかしこも作物が育たず、大陸諸国は寒さと飢えに苦しんだ。
 エシル国王は自分たちの食料は確保したうえで、食料庫を自国民に解放する。
 備蓄は豊富に備えている。
 相変わらず貴族たちは汗をかくぐらい暖かな部屋で夜会を楽しむ一方で、役人や庄屋の不正により福祉が行き届かなかった一部の民もいた。
 暖は互いの身体だけ。
 豊かなエシル国でも、食うに食えなかった弱い者たちは、ぱたぱたと死んでいく。

 寒さと食料不足に苦しんだのは、隣国ラウスも同様である。
 ラウス王は自国民の飢えをしのぐために決断する。自国内での解決は不可能だった。
 不満に思う、豊かな者たちから置き忘れられたエシルの民の協力を得た。
 残雪がのこるある夕刻、王宮に行く。
 腕を広げて歓待するエシル王の首を自国で鍛えた鉄剣で、ひと太刀で切り落とした。

 ラウス王はその首をかかげ、エシルがラウスの支配下にあり、民の命を預かったことを高々に宣言する。
 その後、エシルの王宮で行われたのは、粛清という筆舌に尽くしがたい凄惨な虐殺。


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