男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

95、刺繍のハンカチ ②

朝から深雨であった。
じとじとまとわりつく湿度に気分が重く沈む。
午後の時間は女子たちは焼き菓子や噂話で盛り上がり、誰かの部屋でお茶をする。隣のジュリアの部屋はいつも賑やかである。
ララからはそろそろお茶会を開いてはいかがですか、そのためにまずはどなたかのお茶会に参加されるのはいかがですか、と言われてそのままになっている。
適度に仲良くしておくことも重要なことらしいのだが、媚びるのと仲良くするの境界がロゼリアにはよくわからない。重い雨雲が風にながされ、青蒼をあおぎみることができるようになれば、気負わずに女子たちのお喋りに参加できそうかもと思うのだけれど。

ロゼリアはつい、ジルコンの姿を追ってしまう。
ジルコンは授業の後に寮からでて事務官や王がいる執務室や、黒騎士たちと合流して午後の訓練を行ったりするが、激しく雨が降るときは彼は図書室にいくことが多いようである。
ロゼリアの足は自然と図書館へ向いた。

図書館は教室に使っている建屋とは別に独立したものである。
エール王都に博物館や劇場など文化施設をつくるエール王城には王立図書館というものがあり、夏スクール参加者は自由に利用できた。
図書館とロゼリアのいるところから石畳の通路に沿ってはゴールデンシャワーが植栽されている。
その名の通り、金色の花房をいくつも垂らし、雨にしとど濡れて美しい。
その下をくぐっていけば、傘や雨避けフードをかぶらなくても、大振りな枝がひさしとなって雨避けになりそうだった。

ロゼリアは周囲を見回し誰もいないことを確認する。
長いスカートを膝までまくり上げて広がる裾を腰で結ぶ。
サンダルの紐はきっちりと結んた。
頭にのせた革表紙の本を手を伸ばして前後左右にかたよらないようにただす。
最近は、少しばかり走っても頭の本が落ちることはないが水が斑に溜まる石畳に落として本を台無しにしてしまうのも申し訳ないので、そのまま頭から落ちないように支えた。
 そして金の花房が下がるその下を走る。
まさか、この雨の中、その幹を背にしてゴールデンシャワーを鑑賞している者がいるとは思いもしなかった。
そして、鑑賞する男も石畳を叩くのが雨つぶ以外のものがあるということを思いもしない。
ロゼリアは目前に現れた身体によけきれない。その者も、ようやくロゼリアに気が付いた。
切れ長の緑の目がみひらかれロゼリアの目と瞬時に合う。
互いに己のうかつさを悟るがよけきれない。

「うわっ」
ロゼリアはぶつかった衝撃に弾かれた。ロゼリアは踏ん張ろうとして踏ん張れない。サンダルにかかとがないからだ。
「くそっ」
悪態と共に、男ははじかれ横に飛ばされるロゼリアへ、さらに足を踏み込み必死に腕を伸ばした。
ロゼリアは地面に転がるのを覚悟したが、男の咄嗟で機敏な動きの方が早かった。
どきどきと心臓が興奮している。ロゼリアは男の身体に抱き止められていた。

「……そんなに簡単に飛ばされないで欲しい。あなたとの出会いはいつもぶつかったりしているような気がするのですが」
丁寧な口調。男の胸も弾んでいる。
「この状態でも頭の本を落としていないところが根性があって尊敬できるところですが、わたしがいなければ危険でした。本より自身を大事に守ってください」

不安定なかたちのまま、本は手でがっつりと頭に押さえ込んでいる。服の上からでもわかる筋肉のしなやかさは、森と平野に生きるものたちがどんなに望んでも得ることができないもの。

「ラシャール……」
雨に濡れた新緑の緑の目がロゼリアの顔をのぞきこみ、歓喜にゆれ、目元をゆるませた。
「それにしても、本も面白いけど靴も面白いことになっているのですね、ロズ」
「ラシャール、いいから、立たせて?」
ラシャールは名残り惜しげにロゼリアを起こして立たせた。
 視線を感じ、ロゼリアは腰に結ぶスカートを解き落とした。
「わたしも図書館にいく途中で、ゴールデンシャワーにみとれてしまっていました。あなたの本が雨でよれよれになる前に図書館にいきましょう」
ロゼリアはラシャールと図書館に行くことになったのである。

ロゼリアは建物の中に入る前に本を胸元に抱え直す。
ハンカチでぬれた革表紙を拭った。
受け付けのメガネの司書に返した。
それをみてラシャールはくくっと笑いをこらえている。
「何かおかしい?」
「いや、頭にのせるだけに本を借りていると思うと笑えて」
「もちろん、ちゃんと読んだわよ」
図書館の中は三階まであり、部屋ごとに歴史、文学、外国文学、植物、動物など分かれている。
「次は何の本を?」
ロゼリアは首を傾けた。
「ダンス、理論……?」
「かわった本を読むんだね。ダンスに興味があるなんて思わなかった」
「そろそろダンスのクラスがはじまるだろうから、ララが借りろとうるさいから」
「あなた付きのやり手の女官か。頭に本を乗せるのも、その変わったサンダルも彼女指示?」
「指示というよりもアドバイスよ。もっと優雅になって自信を得るための」

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