男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

106、鎮魂祭 ④

 ロゼリアは自室で目が覚めた。
 気持がすっきりしている。熟睡した後の朝はいつもこんな感じである。

 ララが早くも居間の方にいて、ロゼリアの起きる気配にすぐに洗顔用の湯の入ったタライを用意させていた。
 身に着けているものはいつものパジャン風のパジャマで、だけど何かがいつもと違っている。

「すぐに専門の者に来させますね」
「専門の?」

 何の専門か合点が付かなかったがララがそういうのならとうなずいた。
 顔を洗おうと髪をかきあげてその手ごたえのなさに、一瞬わけがわからない。

「あ、そうだ髪が……」
 少年に髪を切らせた。ジャリリと髪が頭皮を引っ張りながら一息に切り落とされていく感覚を思い出す。
 あの事件は昨日の話だったのか。
 ずいぶん遠い昔のことのように思えた。
 昨夜、ジルコンに抱かれ暗闇の中をたゆたう感覚は、子供の時に感じた安心感とつながっている。
 穴蔵の中に落ち込んでしまったとき、カッコいいお兄さんが一晩中そばにいてくれた。
 じめついた土の匂いも、体のすぐそばを這いまわる虫の気配も、思い出そうとすればすぐにでも思い出せた。
 あの時に、ロゼリアはジルコンのお嫁さんになると決めたのだった。
「ジルコンは」
 あの時に感じた二人の繋がりを忘れてしまったのだろうか。

 ロゼリアの言葉を自分に向けられた質問だとララは勘違いする。
「ジルコンさまは、誰にもロゼリアさまを触らせることなく部屋まで運んでこられました。ロゼリアさまが眠りにつかれたのを確認して、心から安堵されておりました。それから事後処理にでかけられました」

 ララの眼が赤い。目元が腫れぼったかった。
 心配してララは一晩中ついていてくれていたのだった。

「ロゼリアさまがいなくなった1時間の間、どんなに心配したか。もうあんな風に消えてなくならないでください。本当に無事に救出できてどれだけ安堵したことか。ジルコンさま黒騎士たちも迅速な動きで目撃者を探して脅し上げ、それはそれは素早い対応でございました。あの初動がなければ今頃……」

 ララは喉を詰まらせた。
 その後、スタイリストが訪れる。
 ロゼリアのざんばらだった肩までの髪がさらに短く整えられた。
 鏡に映る自分は、ロゼリアでもなくアンジュでもない。
 別人のようである。
 スタイリストは髪にいつものバラのオイルを馴染ませながら、鏡のなかのロゼリアに笑いかける。

「とてもお似合いですよ。そう気になさることはありません。今の流行りはショートなのですから」
 スタイリストの後は医者で、医者の後は食事が運び込まれてくる。
 至れり尽くせりのララのお陰で、一歩も自室から出ないうちに昼になり夕刻になっている。
 ロゼリアが犯罪にまきこまれたことは秘密だった。
 その間に訪れた友人たちに会うときは、頭からララにショールを被されている。
 こんなことをしても隠し切れないと思うが、ララは古き伝統の王家に妃を輩出した有力貴族育ちなのである。
 スクールの姫たちがみんな長い髪であるように、女が髪を短く切ることなど想像もつかないのに違いなかった。
「ララ。アンジュの影をわたしから払拭するためには、髪型を変える必要があるといっていたじゃない。その時から、思い切って髪を切ることを考えていたのだから、ララは気にしないで。思いがけなくそのタイミングが巡ってきただけなのだから」
 ララはロゼリアの耳の下までの男の子のようになった髪を見て、鼻をすすりながら自分を納得させるように何度も何度もうなずいたのである。

 日が落ちて夜になる。
 ジルコンが様子を見にきてくれるかもという淡い望みが潰えていく。そもそもここは女子の階。男性は護衛でもはいれない。
昨夜ここまで運んでくれたことが例外なのだ。

「ジルコンさまに外せない用事が入り来られません。スクールも、鎮魂祭が終わるまでいったん休みになりました。複数の参加者から国を挙げての祭りに参加せよと要請があったようで、何人も欠けるぐらいなら二週間の休みにしようということになったようです。ロゼリアさまはどうされますか」
 ロゼリアは帰国を選ばない。
 このまま帰国すれば二度とエールの王城に戻ってこないかもしれないと思ったから。

 翌日から、森と平野の国々の王子と姫たちはそれぞれ帰国していく。
 パジャンの者たちは、仲のよくなった友人に鎮魂祭に招かれているようである。
 三日後には寮は朝からしんと静まり返っている。
 ロゼリアは人の気配がない図書館や王城の庭を歩く。
 王城も人が随分すくない。
 王城勤めのほとんどの者たちが久々に実家に帰郷していた。
 食事は毎食、ララか、日替わりで見知らぬ女官が持ってきてくれる。
 ロゼリアはがらんどうの、ゆるやかに時間が流れていく静かなエールの王城で、一日一回はダンスの練習会場に足を向けた。
 
 ダンス用の服装でもなんでもない。
 相手もいない。
 音楽もない。
 がらんとした会場で手に持ったヒールの靴に履き替えた。
 
 目を閉じてワルツの音楽を思い浮かべた。
 足を踏み出し、頭の中のメロディーを鼻歌に引き継いだ。
 相手はないけれどイメージはできている。
 ロゼリアの相手は黒髪の、ハンサムなお兄さん。
 妄想の中で、彼の肩に手を置き、手と手をつなぐ。
 ひとりで練習するのはつまらなかった。
 それが自分の妄想のままに思い通りにダンスができるからだと気が付いた。
 
 血肉をもった本物は、ロゼリアの望み通りに動いてくれない。
 いつだって想定外の反応をする。
 見てもくれない。欲しい言葉などくれないし、何を考えているかなんて一ミリもわからない。
 だからこそ、彼のことを知りたいと思うし、振り向いて欲しいと思うのか。
 何日もロゼリアは一人でダンスを踊り続けた。


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