男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

118、※エールの青

 指先が青く染まってしまった。
 染める作業の時は気をつけていたのだが、藍を収穫するときに不用意に指で汁に触れてしまった。
 すぐに落とさないとその後数日間は藍の色は落ちない。
 顔を合わせた瞬間に指先の汚れに気が付いたララに、露骨に嫌な顔をされてしまった。
 そして同時に、指先は案外人の眼に触れているのだと知ったのだが。

 ララに課題達成をしたことをいう。
「キスの課題ですか!バーベキューイベントでやからしたという話は聞いてましたが、二人きりの状況を自ら作ることを考えておられたとは思いもよりませんでしたわ」
「みんな泳げないとは思わなくて」
「この課題は到底無理だと思っていたので、正直なところ驚きました。そして明るい希望がみえましたよ」

 ララはご機嫌である。
 王妃からの氷のご褒美をいただけたことも、ご機嫌の理由の一つである。
 夏の一時期、特別な相手にしか王妃は氷の菓子を振舞わないからだ。

「どちらかというと、藍を収穫でき、それでロレットから頂いた野生の蚕のゴールドシルクを染めることができたことの方が、思いもしなかったことなんだけど」
「それが、染めたハンカチですか?」
 ベッドにまで持ち込んで顔のそばにおいて眺めているハンカチがある。
「素敵に染まりましたね」

 ゴールドは影も形もなくなってしまったけれど、その代わりに内側から発光するくっきりと鮮やかな青に染まっていた。無地の青色だけで、少々味気ない気がする。

「ロレットならさくっと刺繍でもするところだと思うんだけど」
「刺繍ですか?プレゼントでもなさるのですか?」
「それは、そういうわけではないのだけど」

 ララは鋭い。
 プレゼントするには物足りないけれど、祝いの品を受け取らないと宣言している人には丁度いい程度のものだとロゼリアは思うことにした。



※※※


 サーシャは念入りに化粧をし直した。
 先日、長く続いたシーラの物語が大好評のうちに千秋楽を迎えたこともあった。
 そのタイミングでの、久々のジルコン王子からの呼び出しだった。
 二人きりで会わなくなって、もうずいぶん経つ。
 そのうちにジルコンが他国の姫と婚約し、それも婚約破棄になったと噂されている。
 ジルコンは、再びよりを戻そうとしているのだろうかと期待が沸く。
 彼の誕生日ももうじきである。千秋楽と誕生日のお祝いとを兼ねて一緒に過ごしたいと思ったのだろうか。
 あれからいろんな男と付き合ったが、ジルコンほど自尊心を満たしてくれる男はいない。
 ジルコンの指定する場所は逢瀬を重ねたこともある高級温泉旅館である。


「あなたが劇場で髪を切ったのは本当のことなのか?」
「本当よ。だけど初演だけね。後は切った髪で鬘をつくって、うまく切ったようにみせかけていたのよ」
 ジルコンは目を細めてシーラの短い髪を見た。
「長い髪は、売買されたりするのか?」
「?綺麗で長い髪なら高額で取引されると聞いているわ。鬘として加工して販売するの」
 意外な話題である。そして、髪の逸話はよく知られた話で、今さら蒸し返すこともないと思うのだが。
 どう考えても、ジルコンが女の髪を取引することに興味があるとは思えなかった。

 サーシャはジルコンのグラスに酒を注ぐ。
 ジルコンのジャケットの胸ポケットにハンカチーフがのぞいている。
 艶のあるシルク生地で晴れ渡る青空の色はジルコンの眼の色である。
 はじめてであった野外舞台でサーシャを見出した時の、日の光を浴びたときの美しい青。
 あれ以来、サーシャは日の当たるところでジルコンと会ったことはなかった。

「珍しいものを身に着けているのね」
「ああ、これはアイだよ」
「愛?」
 サーシャは眉を寄せた。
 付き合っていたときでもジルコンから一度も愛しているといわれたことはない。

「藍染めの藍。染めたんだ」
「染めたってあなたが?」
「まさか。俺じゃない。アデールの姫が鎮守の森の泉の滝で、蓼藍の群生地を見つけたんだ」
「誕生日プレゼントは不要だといっていなかったかしら」
「これは誕生日プレゼントというほどのものでもないだろ。生地だって商品になる前の、野生の蚕から紡いだ黄金の糸だと言っていた。いわばサンプルの有効活用というものらしく」

 アデールの姫が姫らしからぬお転婆で、水着も準備してないのに泉に飛び込んで対岸まで泳いだこと。
 彼女はいつも予想を上回る行動にでること。
 それから、双子の兄とそっくりで、つい彼の面影をみてしまうこと。
 自分が兄といるのか、姫といるのか混乱すること。


 ジルコンの口がなめらかだ。その顔は兄の話がでるまでは嬉しそうであった。
 サーシャは意外な気がした。
 あの劇場でアデールの王子と姫と顔を合わせたとき、ジルコンが気にしていたのは王子の方だと思ったからだ。
 婚約者である姫の方ははっきりいってあまり印象に残っていない。
 あれから彼女をジルコンは実質婚約破棄にしたと噂を聞き、さもあろうと思ったのだった。
 だがしかし、今自分を目の前にしてジルコンが話す内容はアデールの姫の話ばかりだ。いや、彼女の話をしながらその兄の話をしているともいえるのか。
 サーシャはジルコンの器に酒を継ぎ足した。

「あなたにずっと謝らなければならないと思っていたんだ。今夜もきてもらったのはそのときのお詫びもあって」
「何の件かしら」
「以前お忍びで観覧した時に最後騒ぎを引き起こしてしまった」
「……別に気にしていないからいいわ」

 あの時の事はよく覚えている。
 ジルコンが両脇に豪奢なアデールの王子と姫を連れてきて、舞台が最後の最後の場面で、観客の関心の全てをジルコンと二人の金髪の美人にさらわれてしまった。あの時は、その日の舞台だけでなくこれまで舞台女優として努力して積み上げてきたことが、一瞬のうちに価値のなかったことのように思われて落ち込んだ。夜通し泣いたのだった。
 だがそんなことはいうつもりはない。
 負けを認めるのは許せないからだ。

 そもそも、ジルコンの謝罪は自分に会うための口実にすぎない。
 ジルコンは付き合っていたころ、抱きたくなった時にサーシャを呼び出してきた。
 抱きたくなるほどのイイ女だと思うことで、自尊心は満たされる。
 ジルコンの初めての相手はサーシャであったし、サーシャ以外の女と付き合った噂はきかなかった。

< 209 / 242 >

この作品をシェア

pagetop