男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子

2、旅の事件①

エールの王都に近づくにつれて立ち寄る町のにぎやかさが増していく。
街道には荷や人を積んだ馬車が目立ち始める。

人が集まれば市が立ち、各地の様々な商品や人が集まる。
またそれが呼び水となり、さらに物資や人々があつまり、そしてそこで働く者たちが居を構え町となる。
彼らの胃袋を満たす食事処がそこかしこに林立し、小さな家も軒先に屋根を付け炭を熱し火をおこし、道行く者たちの食欲を誘っていた。


もう王都は目と鼻の先であり、活気があるとはいえこのような小さな街道町など走り抜けてもいいぐらいだったのだが、ジルコンの隣で馬に乗る田舎出の王子が、いちいち何かに気を取られ、目を輝かし、質問をしてくるので、つい、その歩みが遅くなってしまっている。

ジルコン一行は再び茶色のフードを深く体にまとう。
一行といっても、アヤとジルとロサン。
それにジルコン自身と、アデールの王子の少人数である。
他の者たちは先に行かせている。
エール国内は他国に比べて安全である。
大人数だと目立ちすぎて身動きが取れなくなることもあるからだ。
地味なフードを羽織っても、かれらの存在感は消しようがないのだが。

「王子さま、お忍びですか?」
などと、隣の若者を横目で見つつ、こっそりと声をかけてくる母ちゃん的なおばさんもいる。

馬は往来の邪魔になるので預けてしまっていた。
町の散策に彼らは徒歩である。
アデールの王子は、おばさんから手渡されたクレープを口一杯に頬張りつつ、石で舗装された道路を指す。
王子の指したところは馬車や牛車などが走る道にくぼんだ線が二本ずつ、向こう側とこちら側に続いている。
のんびりとした農村地帯では牛車が多く、エールに近づくほど馬車が増えていく。

ジルコンはまたあれは何?と聞かれるかと思う。
なぜなら今日一日王子は聞きまくっていたからだ。
だが、今回は質問ではなかった。

「この道のわだちなんだけど。ずっと、そこばっかり牛馬車が通るから自然とできたものだとばかり思っていたんだ。だけど、違うんだね。車の車輪をここに入れないと、車が通れないことになっているんだね」

ジルコンは笑う。
さきほどあなたは質問ばっかりだな、といったところだからだ。
田舎王子は自分で浮かんだ疑問に対して答えを考えたようだった。

「その通り。道路を敷設する時に、あらかじめわだちを作っている。王都行は左側通行で上りという。それ以外行は右通行で下りと呼んでいる。
そこを通る車輪の幅の規格を定めている。それに合わない車、つまり、このわだちを利用できない牛馬車は王都やエールの国内を走ることはできないんだ」

それはどうして?と問いかけそうになるのを、アデールの王子はぐっと飲み込んだようである。
だから、こちらから質問をすることにする。

「どうして規格を作り、道路をつくるのにわざわざくぼみを作るという手間をかけたと思う?何も細工せずに道路を作ったほうが早い。道路造りに専門の計測員もいる。この規格から外れるもの入れないとなると、エール以外の他国の車を実質禁止することになり、経済的には打撃だ」

「それは、牛馬車がルールなく走ると危険だから?上り、下りを左右で分けることで交通を規制できるから?」
「そう。それによりどうなる?」
「それにより、スムーズな荷物を運送が可能になり、車の道と人の道が完全に分離することでより早く、より安全に旅をすることができる。だけど、どうも見ているとこれには決定的な問題がありそうなんだけど、、、」

王子は道路の脇の人込みの中を歩きながら、じっと馬車が走る道路を見ながら、考えをまとめている。
彼の国、アデールは他国との荷物のやり取りをしていないわけではないが、交通ルールを定めなくてはならなくなるほど活発であるとはいえない。
生活物資のほとんどが、アデール国内でほぼ完結している。

その時、穏やかな賑わいを切り裂くような女の悲鳴が、道を挟んだ彼らの真向から上がった。

「きゃああ、誰かっっ、誰か助けて!!」

その瞬間、バラバラに歩いていた3人の騎士たちは、素早くジルコンの周りを固めた。

「ジルさま控えて」
ロサンがすぐさまジルコンの盾になる。
状況は全くわからないまでも、何かが起こっていた。
騎士たちはフードの内側の剣の柄を握り、悲鳴の上がる道路の向こう側からの襲撃に備えた。

女は道路に飛び出そうとして、周囲の者たちにその体を押さえられている。
道路には馬車が行き交っている。
その女の視線の先、手を必死で伸ばした先には、小さな子供が笑顔でまっすぐ道路へ走り込んでいた。
子供は全く自分の危険な状況を理解していない。
蝶か、バッタか、なにかに気をとられて夢中だった。
その脇を馬車が通りすぎた。

子供の無邪気さとその危険な状況を理解した往来の者たちは、うわあと唸り声をあげ、息を飲んだ。
助けようにも、目の前を荷馬車が走り抜ける。
屈強な男たちも二の足を踏んだ。

「危ない!子供がいるぞ!とまれ!」
上りも下りも関係なく、異変に気が付いた馬車の御者たちは手綱を引いた。
大きな叫び声が突っ込んでくる後ろの馬車に警告する。

馬の驚いたいななき声、仁王立つ馬体。
荷台が弾み、車輪が軋んだ。
上りも下りも急にかけたブレーキで、乗合馬車に乗っていた者たちは悲鳴を上げしがみつく。
積んでいた荷物が弾みで道路にぶちまけられた。

ジルコンたちに向かって、いくつもの積まれた大きな籠が雪崩を打って転がり落ちてきた。
彼らの周りで悲鳴が上がる。
散乱するリンゴ。
白菜の塊。
ミルクの樽。
馬が興奮し泡を吹き、あられもない方向へ走り出そうとする。
さらに悲鳴と混乱が巻き起こった。

馬車から人が飛び出した。
往来を歩く人も馬を押さえに助けに走り、馬を押さえた。
砂埃があがり、場は騒然とし悲鳴と怒号で混乱する。
だが一度舞い上がったほこりが落ちる頃、場が鎮まっていく。
荷は散らばり、踏みつけられて売り物にならない野菜などもあったが、これ以上の惨劇が起こらないのを人々は確認する。

少し落ち着くと、人々は顔を見合わせる。

この状況の引き金となった子供はどうなったのだ?
馬車の車輪に巻き込まれたのか、弾き飛ばされたのか。
馬のヒズメに踏みつけられたのか、荷物の下敷きになったのか。
彼らは最悪の状況を半ば想定し覚悟した。
馬車の車輪の下やあちこちに向かって散乱する荷物籠の間に小さな子供の体を探す。

子供の母親が、声にならない悲鳴をあげながら、子供を見失ったところへよろよろと駆けよった。
何度も我が子の名前を呼んでいる。

「、、、襲撃ではないようですね」

ほっとしてアヤは言う。
今やその場の全員の注目は、今はこの惨劇を引き起こした張本人の子供を探すことに向けられている。
こちらをうかがうような殺気立った視線を感じない。
騎士たちはようやく警戒を解くと、あらためてこの惨状に眉を寄せた。
彼女の後ろで、ジルコンが低くつぶやいた。

「、、、がいない」
「はい?」
「アンはどこだっ?」

不気味に低く抑えられた王子の声。

「このどさくさに狙われたのか?」
そんなはずはないでしょう、と即突っ込みたくなるのだが、彼女の主は本気だった。

「アン!どこだ!」
ジルコンは周囲の騒ぎに負けないぐらい大きな声を張り上げた。
騎士たちの制止を振り切り、人や物が散乱する道路に降りた。

「アン!返事をしろ!どこにいる」

視界が彼の騎士たちの体で覆われたほんの一瞬、隣にいるはずのアンから気をそらしてしまった。
そのわずかな間に、田舎の王子は忽然と姿を消してしまったのだった。





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