男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
第5話 赤のショール

40、型染め体験

王城は城下の町を表に、反対側は森と近接する。
日が昇るにつれて、雲一つない空の元に気温はぐんぐんと上昇し、城下はうだるような暑さとなっていた。

ロゼリアは、額から噴き出て顎先に集まる汗を手の甲で拭きはらった。
慎重に、手に持った木版ブロックを、先ほどに置き残した絵柄の印に合わせて布の上に置く。
細心の注意をもって行なわないと、布に押される図柄がずれてしまう。

風が抜けるように窓と扉を開け放たれた工房には、いろんな色に染まった作業服を着る、皺だらけの顔をした職人がいる。
彼の手つきはロゼリアと比較にならないほど手早くて、一瞬の間に確認しピンと張った白布の上には次々と口に枝を食む鳥の絵柄が現れていく。
ロゼリアが腕の長さほどを仕上げるときには手練れの職人であるシリルの父親は数メートルもの柄を押し終えていた。

「これが型押し。プリントともいう。ちょっとしたコツもあるが慣れるとそんなにかすれずに色を置くこともできる」
彼はかすれた声で説明しながら、ロゼリアが木版を乗せる手つきを見て、気が付いた時には微調整する。
型押しの次は、細かに模様の形に削った型紙を置いて染めるという方法も教えてもらう。
布に手描きするよりも早くて細やかで、同じ模様を繰り返せる、ロゼリアが感嘆する模様の秘密がそこにあった。

「これはすごい。手描きよりも、細かに均一に模様を描けるなんて」
ロゼリアは抜型を置き、模様を染めた布を張り付けた板からはがして透かして見た。
これは型染めのお試し用なので、ハンカチサイズである。
シリルの親父はロゼリアの興奮に笑った。

「俺にはむしろ、手描きの方が貴重で素晴らしいものだと思うよ。こっちの型を使ったものは、絵心がなくても、絵心のある下絵をもとに型紙を彫れるものがいれば、何とかなる。
ある一定以上の修行はいるがいつでも誰もができるようになれるからな。
10年後でも50年後でも同じ図柄を出せるというのは素晴らしいと思う」
「型紙が欲しい」
ロゼリアは染められた生地のサンプルに指を添わせ、その染の美しさにため息をつく。
その様子に、シリルの父は引き出しの一つを抜き出してロゼリアの前に置いた。
「これの中のならどれでも持って行っていいぞ?使い古しだけど、まだ使えるものだ」
「ええ?いいの?」
箱の中には何十枚も、手のひらサイズから大きめのサイズまでの抜型が入れられている。

それを路上の店番から帰ってきたシリルが笑う。
「なんだかすっかり元気になっているんじゃん?ひさびさに来たかと思ったら、あんた、疲れた顔してたし、心配した」
「そんなに疲れた顔していた……?」
「うん。まるで顔に艶がなくなっていて、10もふけた感じ?」
「こらっ。お客さまになんていうことを!!」
シリルは父に頭を殴られた。
シリルは父親から逃げ、ロゼリアを盾にする。
「あんた、王城での王子さま方の勉強会に参加しているってことは王子さまかなにかなの?」
「まあ、一応」
もう一度シリルはロゼリアの顔を覗き込んだ。
「そんな風になるなんて、よっぽど、その勉強会って大変なんだね」

ロゼリアは、作業に熱中することですっかり忘れていた現実世界が、再びどおんと重く肩に乗る。

「ごめんシリル、今は染色の世界に浸っていたいんだ」
「なんだよ?帰国したら、王子業を辞めて染色家にでもなりたいの?そうなら、親父のところで修行すれば3年で独り立ちできるぜ?そのうちに、お母ちゃんのように、仕立てもできる奥さんでも見つけたら、色柄から自分色を打ち出した自分にしかできない服が作りだせるぜ?」
シリルは自慢げに言う。
だが、自分の発言にちょっと引っかかったようだった。

「いや、あんたの場合の趣味はアレだし、もしかして旦那をみつけたらか?」
ふたたび、シリルは顔を真っ赤にした父に頭を小突かれる。
人の趣味で遊ぶな!と怒られている。
ロゼリアがここで女装をするのは趣味と認められている。
将来の旦那はエールのジルコンである。
あの初日のB国リシュア姫による暗殺未遂事件から、ジルコンの周りには彼の高貴な友人たちにより脇を固められてしまっていた。

授業の席はジルコンの周囲はエール側の者たちにより占められて、ジルコンの視線を遮るようにロゼリアのとの間に誰かが立ちはだかる。
食事の時も同様で、初日に正面に座って以来、同じテーブルに同席することはない。
授業で疲れたというよりも、ロゼリアはジルコンの周囲の者たちによって、その仲間からつまはじきにされ、それに要らぬ気を張ることになり、疲労困憊していたのだ。

そもそもの原因は、ロゼリアが事情を知らなかったとはいえ愚かにも暗殺未遂のきっかけを与えたからということ。
それは知っていて当然の常識であったのに、ロゼリアは知らなかったのだ。
そして、そんな田舎育ち丸出しの自分を、なぜかジルコンが気にかけているという特別扱いが、ジルコンの傍にいたい者たちの怒りを買ったことのようである。

そのため、ジルコンの傍に近づけず、エール側の諸王子たちとは会話をしようとしても、どの顔にも張り付けた完璧な笑顔で透かされてしまう。
ロゼリアはエール側の陣営から完全にはじき出されていた。
だからといってパジャン側がロゼリアを受け入れようとするわけではなくて、パジャンの中心にいるラシャールは時折、何かいいたそうな目をむけてくるが、それだけである。

アデールが中立とはいえ、地理的文化的にいえば圧倒的に森と平野の国々の方に所属するのだ。
ジルコンはこの状況に気が付いてはいるが、表立って何かをするわけではない。
お前たち大人気ないことをやめろよ、ぐらいの一言が欲しかったのだが。
それ故、この何日間の間には、ロゼリアは授業で発言を求められる以外に何も言葉を発しないという数日もあったのだ。

「誰とも話さないということが発狂するほどしんどいって知らなかったんだ。ここはなんの気も張らなくていいから天国のよう」
ロゼリアがため息をつきながらそういうと、シリルはかわいそうにと大げさに同情してみせる。

「落ち込んだ時には気分転換が大事だよ。外国からきたんなら、町の行きたいところに連れて行ってやるよ」
10歳のシリルに言われ、ロゼリアは力なく笑った。
子供に慰められているのだ。
本当に疲れた顔をしているのだろう。

「ありがとう。気持ちだけ受け取って置くよ。本当にこれもらっていいの?」
ロゼリアは大きなバラの花の型と小さな花の型を何種類か抜き出した。
サラやフラウへのお土産にいいかもと思ったのだ。
いくらでも持って行っていいよ、と気前よく親父に言われ、ロゼリアは手にしたときにその柄の服を着ている人が浮かんだ型紙を、何枚か選んだのである。


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