男装の姫君は王子を惑わす~麗しきアデールの双子
第6話 黒鶏

51,朝の訪問者

 夜明けを告げる鶏が遠くで鳴いている。
 ロゼリアの意識は漂いながら浮上する。
 耳をすませると、あちらこちらから掛け合うように雄鶏が鳴いている。

 もうじき城下の働き者たちが動き出す時間だった。
 窓を全開し料理のしたくをする。畑の様子を見にいく。
 罠にかかった獲物がいないか、猟師が見回りに行く時間だった。
 自分は、朝は早く起きるべきだったかな。
 今日は、アンジュと一緒にディーンのところに朝一番に稽古につけにもらいに行く日だったか。

 ロゼリアの意識はおぼろげだった。
 コツコツと外で小石を軽く打ち付けるような音がする。
 ベッドから降りて、素足のままベランダへの窓を開く。
 開いてすぐのところには、ベランダには小さな一人用のカフェテーブルが置いてある。

 そのテーブルには見慣れないものがどんと乗っていた。
 それは黒くて大きかった。
 赤いくちばし。
 真っ赤な目。
 一抱えほどありそうな巨大な鶏だった。

 いきなりの黒い鶏の出現に、悲鳴を上げそうになるのを必死で飲み込んだ。
 いきなりで驚いたのは黒い鶏も同じだった。
 真っ赤な目を大きく見開いて、皿の上でかぎづめのある足と、羽をばたつかせる。
 羽をすべて広げれば一メートルはありそうだった。
 暴れたために、昨夜食べ残していたフルーツやナッツが飛び散った。
 初めの衝撃をやりすごせば、鶏は真っ黒ではなくて、黒の中に青く光るような艶があった。


「ああ、ごめん。驚かすつもりはなかったの。わたしがちょっと驚いただけ。フルーツを食べに来たのならどうぞ。残りもので申し訳ないのだけれど」

 ロゼリアが低く優しく声をかければ、黒い鶏も落ち着いた。
 じっとロゼリアを見て、捕まえるつもりもなく、皿のフルーツを奪うわけではないことがわかると、再び羽を畳んでフルーツを食べ始める。
 リンゴ、マンゴー、キイチゴ、クルミ、アーモンド。
 昨夜は無性に食べたくなって、夕食時に食堂でいろいろ見繕っていたのだった。
 そこで、ようやくロゼリアは完全に記憶がはっきりする。
 ベランダから見える森とその向こうに見える巨大な街並みは、アデールではない。
 エール国。
 エールの夏の勉強会にジルコン王子に誘われてきたのだった。
 アンジュの代わりに参加している。

 婚約者であるジルコン王子の人となりを見極めなさい。
 ジルコン王子が駄目なら、他に好きな人を作りなさい。
 学ぶことも大事だけれど、母にはそういわれていたのだった。


 夏スクールが始まって数週間。
 ロゼリアにはまだ友人らしい友人ができているわけではなかった。
 友人といえるのは、エリンのベラ、パジャン派のレオ。
 それでも、全く誰とも会話せず過ごした数週間を思うと大きな進歩といえたのだった。

 空が白じらと空ける時分は空気も澄み冷えて気持ちがよかった。

「ねえ、お前は森から仲間はずれにされてここに来たの?それとも鶏小屋から逃げてきたの?お腹が空いているのねえ?」
 ロゼリアはベランダの窓にもたれかけて、黒鶏の食べる様子を眺める。
 お腹が空いているの?と聞いたときに顔を鶏は顔を上げ、頭を傾げる。
 しぐさが可愛い。
 鶏冠(とさか)耳朶(じだ)はうっすらピンクで小さかった。
 真っ赤に見えたくちばしも、心持ちピンク色が混ざっている。

「鶏冠がちいさいからお前はメスね。ひとりなの?今度は仲間を連れてきなよ」
 ロゼリアは独り言つ。


 食べ終わると、黒鶏は机からとんとベランダの桟に飛びあがった。
 ぎりっとかぎづめのある足が桟をつかんだ。腕をぐるりと掴めそうな大きな足だった。
 
 ぐうるるる……。
 
 頭を巡らしてロゼリアを向いて低く鳴いた。
 お礼だとロゼリアは思う。
 大きな身体に似合わず、黒鶏ははばたき飛んで、ベランダの向こう側に鬱蒼と茂る鎮守の森の中に見えなくなったのだった。


 その日から、朝の鍛錬の前に黒鶏にフルーツの朝ご飯をやることがロゼリアのひそかな楽しみになる。
 黒鶏は森を寝床にしているようだった。
 完全な野生ではなさそうだが、鶏小屋の鶏ほど肥え太っていない。
 大人になる前に逃げ出した鶏のようである。
 鶏には様々な羽色を持つが、この鶏は黒色が幸いして、森の中で目立たず生き残ったようだった。
 毎日顔を合わせるうちに、次第に黒鶏とロゼリアは仲良くなっていく。

「鶏がベランダに来るのですって?わたしも餌付けをお手伝いしたいわ。この手からつつかせてみたい。でも殿方の部屋に朝行くことはできないので、本当に残念です」
 そう言ったのはベラである。
 ベラは一度ロゼリアの部屋に来たことがあったが、あの時は前後不覚になるまで泣いていたときだった。
 授業の合間の休憩時間である。
 あちらこちらで気の合う仲間で雑談が始まっている。

「野生のにわとりがベランダに来ているだって?捕まえてやろうか?食堂のおばちゃんが助かるんじゃないか?野生のは肉がしまってうまい」
 小耳にはさんだアリジャンがいう。
 彼は、草原の国の若者である。随分遠い前の席に座っていたのだが振り返り、弓を引く素振りをする。
「そんな。食べるつもりはないですよ。毎日顔を合わせてみていると本当にかわいいですから」
 ロゼリアは言い返した。
「羽だって黒くて青く光って、それはそれはジルコンの髪のように美しいのですから!」
 一瞬の間。
 ロゼリアの言葉はしんとした教室中に響きわたった。
 全員が立ち止まり、振り返り、ロゼリアを見た。
 名前をいわれたジルコンも腕を椅子に掛けて振り返った。

 しまった、今回はベラではなく、やってしまったと思った時には手遅れで。
 
 ロゼリアをみて視線は今度はジルコンへ向かう。
 ジルコンのお気に入りの田舎者が、ジルコンを美しいと公言し、しかも鶏の羽をジルコンの髪にたとえたのだ。
 失言だったと、ロゼリアは真っ赤になる。
 ジルコンは快とも不快とも決めかねた表情で、己の黒髪をなでつけた。
 銀の髪のウォラスがひとり振り返らずに肩を震わせて笑いをこらえている。

「そうですよね。鶏は本当に美しい。尾長鶏の風になびく尾の美しさ。毎年抜け替わるはずの尾羽が、長尾鶏の場合なぜか抜け替わらずに延々と長く伸びていくのですよ。碁石鶏って知っていますか?黒に白の斑点が全身にちらばり、まるで碁石のように見える鶏もいるのですよ。鶏の見どころは羽だけではなくて鶏冠がピンと張ったところがいい。鶏冠が大きいのはオスですけど。その鶏冠が王冠の形をしたものもいる」
 沈黙を破り、いや破ったことに気が付かず、ロゼリアに話しかけた者がいる。
 ふんわりとした白い羽を束ねた扇を手にしたエストだ。
 彼のベストは、長い羽が経糸に織り込まれ、ところどころ羽毛が飛び出し、歩くとふわふわと広がり優しい雰囲気を醸し出しす。
 美しく着飾った王子たちの中で、エストは美しい鳥の羽で体を装飾する。

「訪れるのはオスですか?メスですか?」
「鶏冠が小さかったのでメスだと思う」
 ロゼリアは応えた。
 ジルコンの取り巻きの一人から公然と話しかけられたことは初めてで、ドキドキする。
 エストはそんなロゼリアの反応など気にしていない。
 ぎょっとしたのはノルやフィンやバルド、ラドーなど、ジルコンの周囲を固めているエール国の取り巻きたちだ。普段はエストもジルコンとロゼリアの間に壁のように立つのだが、鶏の話題でロゼリアを弾くことを完全に失念してしまっている。

「鶏は、その見た目の美しさだけでなくて、声だっていいのですよ。謡うんです。僕が国から連れて来た夜月も色が黒い。オスほどじゃないけど夜月も気が向いたらきれいな声で鳴く」
「コケコッコーってか?」
 パジャン側からからかいの声が投げられ、どっとパジャンの若者たちは笑う。
「ああ、パジャンの方は聞いたことがないのですね。鶏の育種は高尚な趣味ですから」
 うっとりと話していたエストの声にチクリと棘が混ざる。
 エストも負けていないのだ。
「鶏っていえば、闘鶏だろ。エストの国は闘鶏の育種も盛んだろ」
 バルトが立ちあがった。
「闘鶏はパジャンでも盛んですよ。爪に金属の爪をつけて戦わせる。両足の場合もあれば片足の場合もあって。蹴りあって壮絶な血みどろの戦いになる」
 ラシャールも加わった。
 すっかり教室の男子たちは闘鶏の話題で盛り上がっている。
 血みどろの戦いで女子たちは顔をしかめた。
 闘鶏は、鶏を戦わせ戦争の勝ち負けを占ったり、金をかけるばくちであったりする。
 金持ちもそうでないものも男なら夢中になる娯楽で、エストの国のように、国をあげて大々的に育種に取り組み他国へ輸出する国もある。
「爪の武器はエールでは数年まえに禁止したんだ。残虐性の面が問題視されて」
「我が国も……」

 ロゼリアは自分から注目が離れてほっとする。
 ジルコンの黒髪を美しいと思っていることを追求されたくなかったからだった。
 休み時間中、男子たちは派閥関係なく闘鶏の話で盛り上がっていたのである。

 
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