もう二度ともう一度

「ネズミ算式」

早川の計算は早くも狂っていた。靴が何足か出荷される度、品質のよさが人の口伝いに拡がり依頼の手紙が数を増やして返ってくる。
 キリと言うモノがない、もはや靴奴隷だ。
 そんな所で、出来高給にして近所の裁縫が得意なおばさんや、元カバン作りの職人さんを紹介してもらい製作所を立ち上げた。

「このままじゃ受験どころか学校も通えないからな!」

 そう言った早川の前には今週分だけで20cmほど手紙が積み上げられ、時々電話があると作業場までわざわざ足を運んでくれる客も来た。

 しかし、早川の知り合いだけでフォローするにも既に限界だ。母親も電話対応に頭を抱えている。早く回線やら人員を増やさなければいけない。

「お前、児童就労はユニセフかっ飛んでくるぞ!」

 アルバイトとして来てくれる同級生の尾崎も、最初はいい就職先になると喜んだが、あまりの過密労働に愚痴を漏らしていた。


「皆さん、お疲れ様」

 そう言うと、肩書きは社長秘書だが実質その社長の立場である高見真知子が作業場に来た。
 経営なんぞ出来るワケがない早川は、名前はトップにあっても現場第一の技術主任と言う事になる。

「よぅ、おはようさん。そちらは?」

 高見の後ろに、髪をオールバックにした上着は作業着だがスーツ姿の男がいる。

「はじめてお目にかかります、早川社長。私は白村と申しまして、この真知子お嬢様のお父上の会社から、こちらでお世話になる事になりました。よろしくお願い致します」

 どういう事か?高見真知子に視線をやる。

「ウチの父の会社にいた男だ。説明すれば長くなるが、出来る男だ。戦力になればと引き抜いて来た」

 どうやら、高見真知子の実家はなんらかの会社を経営しているようだ。
 確かに彼女はブルジョアジー特有の品性と言うか、早川から言わせれば「スカした」匂いはある。

 バブル崩壊前に、これからの危機を高見真知子は父に具申したが最初は聞き入れられず、この白村がその意見を偶然耳にしてそれを後押しし、即座に対応したお陰で今もその看板があると言えた。
 今、彼女が我儘放題でも押し通せるのは、父親からの溺愛とこの功績のせいでもあった。

「はぁ、どうも・・」

 そう早川が挨拶すると、白村は微笑んで握手を求めた。

「早川社長の創り出すモノは素晴らしい発想と、品質だと聞いております。私にも是非協力させて戴きたい。この業態は潜在力のあるマーケットだと、そう考えています。今の内から皆さんと一緒に努力出来るのは会社人としてやりがいのある仕事だと思います・・!」

 そう言うと、手を早川から離した白村は一人ひとり丁寧に挨拶して廻った。

「早川、ちょっと・・」

 そう言うと、高見真知子は屋上に早川を呼び出した。
 この建物は少し前まで、紡績関連の会社でそれは国内でこれから収縮していく産業のそれだった。

「早川、父のコネでドキュメンタリー番組にお前を出す。まあ見栄えもイイ方だ、今の内からカメラの前での立ち回りを心得ておいてくれ・・」

 展開が早すぎる、早川はオロオロしながら高見真知子に心境を語った。

「おい、待て待て!誰が話を大きくしろと言った?俺は靴屋なんてやるとは言ってないぞ!」

 高見真知子は遠くを眺めながら振り向かない。それでも背中越しに語りかけた。

「私は、お前を一流の男にしてやりたい。それも女の幸せだ・・今はそう思っている。」

 とは言え、大した実績なんかない。それを新進気鋭の若手経営者なんて無茶苦茶だ。

「今の日本は暗い、あまりにもな。だからこそ、今時代はお前を待ち望んでいる!新しい希望をだ」

 高見真知子は、自分の未来でもキャリアとしてそこそこの企業で課を牽引していた。その経験からして、早川のやって来た事が時代に沿うビジネスになり得ると考えていた。
 量販で負けるなら、中規模戦力で高品質なワンオフモデルを製造し、デザインの要望があってそれがセンスもあるならそのまま製品化してもいい。
 いくつかのプレゼンテーションからセミオーダーシステムも考えている。

「うぅ、そう言われっと・・なぁ」

 そう流されたように答えると、高見真知子は初めて見る様な笑顔で早川に握手を求めた。


「早川君、あなたなら出来るわ!きっと。あなたは私の、そして皆の希望なんだから!」
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