イチゴ 野イチゴ
第六章
 第六章

 イチョウの葉はすでにもう落ちて、寒空に凛として立っている。空はうんと高い所にあってみていると透き通って行きそうだ。

 陸上部の練習をミイナは見ていた。
 右足はちゃんとあって、毎日リハビリをかかさない。そのかいあって、もうすぐ走れるようになる。

 地面に足を付いた時の感触を感じるたび、この世界が現実だと感じる。

「良かったよね、ミイナ」
 座っているミイナの横に優馬が立っている。

 出会った頃より少し大人びた感じがするのは髪型のせいかな、とミイナは思う。
 二人の間に透き通った風が吹く。

「それを言うなら、優馬くんでしょう?」
 口をとがらせて優馬が今気づいたという表情を作る。
「そうでした、そうでした。おかげ様で」
 優馬は柔らかい髪がなくなって、短髪でキャップをかぶっている。
「ほんと、運が良かったとしか言いようがないじゃないよ!」
 優馬が頷いて
「はいはい、ほんに運が良かったとしか言いようがございませんです、はい」
 おどけて見せる表情には、柔らかい優しさが感じられる。

 あの事故で、優馬は頭を強く打っていた。
 救急車で運ばれた先の病院は、偶然にも一二を争う脳外科の名医がいた。
 沢山の病院で検査を受けて諦めていた難しいと言われた腫瘍は、長い手術の末に取り除かれて、優馬は爆弾の恐怖から解放されたのだ。
 奇跡に近い。奇跡と言っていいのかもしれない。

「あの時、オレこっちに戻って来るつもりなかったんだけどね」
 遠くのグランドを見つめて独り言のようにつぶやく。
「こっち、ね」
 ミイナは口の中で聞こえない位小さな声でつぶやいて、そして続けた。
「うん、ママも戻ってこないかもしれないって不安だったよ」
 言葉と一緒に不安がたくさん詰まったあの時に戻りそうになって首を振る。
「やっぱさぁ~、ミイナと同じで優しさと愛情たっぷり持ってるんだな~」
 ぎょっとした顔でミイナが優馬を見上げる。

 爽やかな笑顔と、澄ました表情はやんちゃ坊主のままだ。
「よくそんな台詞シラッと言えちゃうね。こっちがはずかしくなるわ~」
 ミイナを見下ろして優馬が舌を出して笑う。つられてミイナも笑う。
 二人とも空高く抜けるような蒼に目をやる。
 優馬は何も入っていないポケットの中で握り拳を作って、空を見つめていた。
 今、どこにいるのだろう。
 寂しさを抱えていないのかな。
 二人とも心のどこかで、問いかけた。

「ねぇ、覚えてるかな、渋谷のあの店」
 ミイナは遠くの方の風に揺れている木々に目をやりながら、思い出したようにつぶやいた。
「なんだか、何度も店に行った気がするんだけど、はっきりどこかってわかんないんだよな」
「だよね、少し大人になったあたしたちもいたよね」
「お~もっときれいになったミイナ?」
「茶化さないでよ!」
 大人っぽくなった優馬やミイナ、そしてミクがいた。
「あの店、今度探しに行かない?」
 少し小さな声でミイナが言う。
「え~~~デートのお誘いですか?大胆だなぁ」
 ミイナがほほを膨らませて
「じゃ、行かない!今の取り消し!もう二度といわない!帰る!」
「え~~ごめんごめん。あまりに嬉しくて茶化して悪かった。行こう行こう!絶対行こう」
 立ち上がったミイナが腰を降ろす。

 遠くの方でサッカー部の練習の声が大きく聞こえている。
 その声にあごを上げて、声を上げそうになっている優馬。
「サッカー、また始めるの?」
「そりゃまぁ、自分で言うのもなんだけどかなりうまいんだぜ、オレ」
 呆れた顔になってミイナは笑う。
「ほんと、自分で言うかな。天才とか」
「え、天才とまでは言ってないじゃんか。誇張しないでくれる?」
 笑い出す二人の目の前に、銀杏の葉が飛ばされてくる。

「あ、まだこんなにきれいな銀杏の葉があるよ」
 黄色い色はまだ濃い色をしていて、枯れた木々から見つけることはできない。
 寒い冬、じっと我慢すればその先には暖かい春がくる。それを今から待ちわびて想像しながら目をつぶる。そんな木々の気持ちになると、自分の心までキュッと締まっていくような気がする。

 ミイナ一家はあれから、お墓参りに行った。

 遠くの街の見下ろせる高台にある墓は、遠いご先祖様が眠っている場所でミイナは何度も来たことがあった。特別な場所でもなく、記憶の中で通り過ぎてゆく場所。他愛もない遠足だった、幼い頃は。

 ミイナはミクがそこに眠っている事は知らなかったし、そしてママもパパもその事を深く後悔しているようだった。

 なぜ話して聞かせなかったのか。ミイナが生きていることの大切さも、生きるという事の大きさも話して聞かせなくてはならなかったのではないのか?
 そう墓の前で手を合わせながら、ミイナに初めて話して聞かせた。

 それを聞きながら、身体が暖かくなってゆくような感覚があった。
 ミイナが頷いたのは、墓の向こう側でミクが笑った気がしたから。特別にかわいい笑顔を作って。

 見渡せば、街が見えてミイナが住むマンションも見える。
 ミクとの会話がたくさん浮かんではきえる。

 ここから、見守ってくれてるでしょ?あたしたちは、最強だものね。
 ミイナがそう心の中で呟くと、ミクの声が聞こえた。

「あたしたちは、最強だよ!」
 木霊して、空に消えて行った。見上げる先に薄く消えてしまいそうな透き通った雲が流れていく。
 そこにいるんだね。心の中で呼びかけた。

                       おわり



 運命なんてほんのちょっとした事で、明暗を分けてしまうものだ。
 今、この時この場所で大好きな人と、こうしている事、その幸せを噛みしめよう。
 ミイナは、肺に空気を精一杯吸い込んで、ゆっくり吐き出して笑った。
 空の向こう側で同じように笑顔が、光って消えた。

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