Summer Day ~夏の初めの転校生。あなたは誰?~
5月の食堂・8月の雲間
[27歳・・・5月]

ピロン。
奈津のスマホが鳴る。
今に引き戻され目を開けると、目の前には、日替わり定食が見えた・・・。
奈津は、機械のような一連の動きで、スクラブのポケットからスマホを取り出し、その画面を開いた。そして、メッセージを一読すると顔を上げた。その表情はいつものクールさを取り戻している。
奈津の表情を見て、さすがだな・・・と、まなみは妙に感心する。
「彼からとか?」
まなみはBEST FRIENDSの報道からの、2人の間に流れるこの空気をどうにか整えたくて、当てずっぽうに言ってみた。明るく、冗談っぽく。
うん・・・。うなずく奈津。『あ・・・意外。当たってた・・・。』当ててしまって、まなみの方が少し動揺する。奈津はため息をついた。それは、どこか不自然に見えるため息。
「どうしよう・・・。6時に待ち合わせだったのに、4時にしようって。もう、こっちに来てるんだって。」
眉間にしわを寄せ、少し困ったような顔をする。
「ハア~。奈津に会いたくってしょうがないんだね~。」
まなみはランチの唐揚げを箸で掴むと、口元を緩めながら言った。
「奈津、仕事は?」
そう言ってから、まなみは唐揚げを口に放り込んだ。
「前々から彼が来るの分かってたから、午後から休みはとってる。でも、溜まってる仕事を少し片付けて、それから、家でちゃんと支度してから会うつもりだったのにな・・・。4時まであと2時間ちょっとしかない。しかも、病院まで来るって。」
奈津は口をとんがらせた。そんな奈津を見て、今度は、まなみがニヤニヤしたいのを我慢しながら、わざと大きくため息をついた。
「彼、病院まで迎えに来るの?」
うん。奈津がうなづく。まなみは、急いで唐揚げを飲み込むと訊いた。
「それで・・・、訊くの怖いけど、奈津、今日、何着てきた?」
「ジーンズとトレーナー・・・。そして、スニーカー。あと、口紅しか持ってきてない。」
奈津は小さなお椀に入った味噌汁をすすりながら、平然と言った。
「フラれる・・・。こいつ、絶対フラれる。」
まなみはガクッと首を垂れる。奈津はそんなまなみの頭をコツンと叩くと、
「もう!失礼だなあ。フラれません!!」
奈津はハハッと笑った。「よくもまあ、ヌケヌケと・・・」今日ばかりは、まなみの方が気が気じゃなかった。
だって・・・、ヒロの・・・ヒロのあんな報道を見てしまった後だから・・・。
「更衣室・・・。そうだ、奈津、病院の更衣室って使える?」
まなみはガバッと顔をあげると、名案を思いついたとばかりに、奈津の方に身を乗り出した。
「う・・・うん。今、更衣室使ってる女医って2人だけで、佐伯先生は仕事が終わるまでは使わないから・・・。」
まなみは、目を輝かせた。
「よし!じゃあ、早くご飯食べて、仕事切り上げてきて!そんで更衣室行こ!場所は奈津んちから変更!!そこで変身させちゃる!」
奈津は眼鏡の奥の目を丸くすると、まなみを見つめた。それから、まなみの言わんとすることを理解すると、右手の親指を立て「オッケー!」と合図した。
そう・・・今日はデートだった・・・。奈津は、病院に迎えに来てくれる彼のことを考えようとした。それなのに・・・、考えようとすればするほど、奈津の頭の中には、先ほど映ったヒロの顔ばかりが広がってしまう。あの頃の少年だったあどけなさは抜け、ヒロは・・・息を飲むほど大人っぽく変わっていた・・・。鼓動が鳴る。奈津は上を向いて息をゆっくり吐いた。
それから、定食をがっついてるまなみを目を細めて見た。
「ありがと。」
奈津はまなみに言った。まなみはご飯を口にほおばったまま、奈津を見て笑顔を返した。まなみはわたしと彼のデートを心配して、実は、今日わざわざ来てくれた。化粧っ気のないわたし。おしゃれにも無頓着なわたし。大事なデートの前に、そんなわたしを変身させるんだって言って・・・。
まなみはいつもわたしの恋を応援してくれる。そう・・・いつだって・・・。
奈津は一旦目を閉じると、静かに食事を再開した。



[17歳・・・8月11日 深夜]

 唇が離れると・・・コウキは奈津の肩と頭を抱きしめた。ギュッと・・・。奈津はコウキの背中に手を回した。彼の胸に押し当てられる耳と頬。左の耳に彼の早鐘の鼓動が聞こえる。
トクトクトク・・・
長いキスの後の・・・それは、永遠を紡ぐ音・・・。初めての恋。そして、こんな恋は・・・もう2度とできない・・・。
神様。今のこの気持ちをコピーする魔法をかけて・・・今だけ・・・。1回こっきりの魔法でいいから・・・。離れてしまっても、この気持ちをいつでも再生できる・・・そんな魔法。
奈津はそっとお願いをする。それは不可能だと・・・そんなことわかっていても。

クシュン。
くしゃみと共に奈津の体が弾んだ。そして、それと同時に、固く繋がり合った2人の永遠が終わる・・・。コウキは腕に込めている力を緩めた。
「寒い・・・?」
いつの間にか、2人に降り注いでいた雨はやんでいた。でも、過ぎていった雨が、夏だというのに、奈津の体温を奪っていた。
暗がりの中、コウキは奈津の顔にかかった濡れた髪を、指でそっと耳にかけた。
「こんな時間にどこに行くつもりだったの?」
コウキの声が優しく耳元に響く。コウキの手の動きにいちいちドキドキする・・・。それに・・・そんなの訊かなくても、分かってるくせに・・・。奈津はちょっと口をとんがらせる。
でも、誰も何も邪魔するものがない、この空間が奈津を素直にさせる。感じるのは・・・ヒロでもコウキでもない、そんな誰か,なんて越えた・・・ただただ唯一無二のこの存在・・・。大好きな人。
奈津は彼の右手を両手で包むように握る。そして、おでこに当てる。途端に、次から次から涙が溢れる。言葉にならない言葉を、声にならない声を、奈津は伝える。
「会いたかったの・・・。ただ好きだって・・・言いたかったの。そして・・・ただ・・・泣きたかったの・・・。」
おでこに当てた2人の手に、コウキはもう片方の自分の手を添えた。そして、自分のおでこもそれにくっつけた。何も言わず・・・。黙ったまま・・・。
・・・彼が嗚咽するように泣いてる・・・ただそれだけが、奈津に静かに伝わってきた・・・。
いつの間に、雲間ができたのだろう・・・。満月の前のまん丸になりきれていない月が顔を出す。幼すぎて頼りない・・・でも懸命な2つの魂を、月明かりがそっと見守る。荒波で出会って、手が触れ合い・・・今やっとその手を握り合った・・・。そんな2つの魂を月の光が優しく包む・・・。
月は何も語らない。泣くことしかできないこの2人を、ただただ黙って見守る・・・。光だけ、優しく注ぎながら・・・。
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