溺愛音感


「えっと……うん……」

『どうした? 失敗でもしたのか?』

「そういうわけじゃ……ない、けど……」


マキくんは、歯切れの悪いわたしに何かを感づいたのか、まっすぐ家に帰って来いとは言わなかった。


『演奏について、悩みがあるなら三輪さんと友野さんに相談に乗ってもらうといい。三輪さんは、ハナが望むなら、今後特別レッスンをしてもいいと言ってくれている』

「え? レッスン?」


思ってもみなかったことを言われ、目を瞬く。


『プロでも、師にアドバイスを貰うのは珍しいことじゃない。ハナは、専門家のレッスンを受けたことがないだろう? 試してみるといい。自分では気づかないことを指摘されるだけでも、効果はあるはずだ』 

「……う、うん」


わたしにとって、師匠と呼べるのは父ひとりだけ。

その父が亡くなってからは、和樹以外に演奏についてアドバイスしてくれる人はいなかった。
演奏活動を中止してからは、いい意味でも悪い意味でも、誰にも批判されることがなかった。

客観的な意見を訊くのは、独りよがりの演奏になっていないか確認するためにも、必要だ。


『ハナが、もっといい演奏ができるようになるなら、俺も嬉しい』


マキくんの言葉が、グサリと胸に刺さる。

いまのわたしの演奏がダメだと言っているわけではなく、むしろ応援してくれているのだとわかっていても、素直に受け止められない。

わたしのヴァイオリンは、「彼女」のヴァイオリンには及ばないと言われているような気がした。

彼女の代わりに、いくらでも弾いてあげると言った自分は、なんて傲慢だったのだろうと思う。


わたしは、「久木 瑠夏(ひさき るか)」にはなれない。


彼女とマキくんが作り出す音は、わたしとマキくんでは絶対に作り出せない。

あのDVDで目の当たりにしたような、二人の間にあった親密さは、わたしとマキくんの間には存在していないのだ。


(同じになれないことを気にしてもしかたないのに……)


ひとはひと、自分は自分。

そう思うべきなのに、ヴァイオリンとマキくんへの気持ちが絡まって、こんがらがって、ままならない。 


『ハナ? どうした?』

「う、ううん。三輪さんと……友野先生と、話してみる」

『二人とも経験豊富で弟子も多いから、きっといいアドバイスをくれるはずだ』

「うん」

『ただし、日付が変わる前には帰って来るように』

「うん。マキくんもね」

『約束はできないが、善処する』

「うん。じゃあ、またあとで……」


< 210 / 364 >

この作品をシェア

pagetop