溺愛音感


あの夜、三輪さんと友野先生にアドバイスされてから、他人の演奏を聴いては自分ならどう弾くかを考える、という作業を繰り返している。

最初は「あれもいい」「これもいい」と受け身で聴き惚れてしまっていたけれど、回数をこなすうちに、冷静に聴けるようになった。

そうなると、今度は「あの曲は?」「ここのフレーズは?」と次々疑問が湧き起こり、聴かずにはいられなくなって、聴いたら弾かずにはいられなくなり、弾き始めたら止められなくなって、ストックが増えたのだ。

自主練習でも手ごたえを感じているし、オケの練習でも三輪さんと友野先生に「いいね」と褒めてもらえた。

だから、マキくんにも聴いてもらいたいのだけれど……


(いつまで、こんな風なのかなぁ……)


お宅にお邪魔してからというもの、レアなおせんべい情報をくれる松太郎さんに『KOKONOE』の株主総会は今日、それさえ終わればマキくんの忙しい日々は終わると聞いていた。


(もうこんな時間だし、べつに明日でもいいんだけど……)


マキくんには、ヴァイオリンを聴いてもらうだけでなく、話したいこともある。

空白の十日間と、『久木 瑠夏』のこと。

ずっと胸の奥にわだかまっているモヤモヤは、どんどん濃度を増し、考えただけで息苦しさを感じる。

それでも、誰か事情を知っていそうな人に訊ねようとは思わなかった。
マキくんの気持ちは、できる限りマキくん自身の口から聞きたかったから。

とりあえずは、今夜話せなくてもかまわないが、せめて顔をみて「おかえりなさい」を言いたかった。

「今日はぜったい、寝ずに待つ!」と決意して、音楽室へ向かう。

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