溺愛音感

やはり、まだあの中傷記事を発端とした騒ぎは鎮静化できていないようだ。

マキくんはいろいろ手を打っているが、焼け石に水。ほとんど効果がないと思われる。

あいにく、ここ最近は芸能関係、政治経済のビッグニュースがないのも長引いている要因だろう。


(だからこそ、今日で話題がまったく別の方向に行けばいいんだけど……)


「ハナ、行くわよ」

「は、はい!」


タクシーの支払いを済ませて、盛大にドレスをたくし上げ、十センチヒールで地下駐車場を堂々と横切っていく女帝の背中を慌てて追う。

急ブレーキを踏んで止まり、ぽかーんとした表情で彼女を見送る『KOKONOE』の社員たちに、ペコペコ頭を下げながら。


「はぁ、まったく歩きづらいわ」

(だったら、そんな高いヒールやめれば?)

「コーヒーサービスはあるらしいけれど、ワインはどうかしらね?」

(ないでしょ)

「なんでこんなに遅いのよ? このエレベーター」

(音羽さん以外の人も乗るからだよっ!)

「お腹空いた……」

「さっき、ハンバーガー二個も食べてたよねっ!?」

「あれは、おやつよ。ねえ、ビル内にコンビニないの? 最近、バスクチーズケーキにハマってるのよ。あの値段であのクオリティは、すばらしいと思わない? いっそコンビニごと買っちゃおうかしら……」

「…………」


もはや、相槌を打つのすら面倒だ。

ゆっくりと下りてくるエレベーターの表示を睨み、精神安定剤を求めて、スーツのポケットのふくらみをそっと確かめる。

正真正銘、本物のお嬢様である花梨さんのアドバイスで購入したのは、これまで自分のお金で購入したものの中で、一番高価なものだった。

彼女の付き添いがなければ、あの高級感溢れるお店に足を踏み入れることすらできなかったと思われる。

いよいよ本番だと思うと、心臓が急速に鼓動を速めた。


(とにかく、平常心……平常心……)


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