溺愛音感

飼われることになったので食費と光熱水費は浮いているが、スマホ代などの毎月決まった支払いがあるし、九十九曲を弾き終えた後のことを考えても、お金は必要だ。

何より、レセプショニストのバイトを辞めたらコンサートも聴けなくなってしまう。
普通にチケットを買っていたら、あっという間に破産する。


「アルバイトを辞めたら、コンサート聴けなくなっちゃうし」

「コンサート? レセプショニストのアルバイトのことか」

(あ、ヤバ……つい、本音を……)


そんな不純な動機でアルバイトをするなと怒られるかと思いきや、マキくんは意外にも譲歩した。


「レセプショニストのアルバイトは、まあ……いろいろな意味で必要だろうから続けてもいいかもしれないが……」

「だ、だよね? でも、あれだけだと足りなくて……だから……」


ここぞと思って畳みかけようとしたが、あっさり否定される。


「ダメだ」

「だけど、リクエスト弾き終わったら、また部屋を探さなきゃならないしっ」

「どうしてだ?」

「ど、どうしてって……」

「ずっとここに住めばいいだろう?」

「は?」

「一度飼い始めたら、最後まで面倒を見るのが飼い主の義務であり、責任だ」

(い、意味がわからない……)

「あの、でも、一生面倒を見るって、人間の場合はイコール結婚ってことなんじゃあ……?」

「当たり前だ。見合いしたんだから、結婚が前提に決まっているだろう?」

「…………」


マキくんは、まるで「結婚」が決定事項のように言うけれど、本当に結婚するはずがない。

落ちぶれたヴァイオリニストと大企業の社長では、到底釣り合わない。
十歳も年の差があったら、それ以外のギャップだって大きい。

だから、お見合いは破談にする……はずだった。
その日を、少しだけ先延ばしにしただけ……のはずだった。

なのに……。


「ハナ? 添い寝してほしいのか?」

「…………」


別室へ行こうとしたマキくんを引き留めた手前、「ちがう」と言っても真実味が薄い。

かと言って、傍にいてとは言いづらい。

甘えたい気持ちは、ある。
甘えさせてくれることもわかっている。


でも、甘えることに慣れてしまうのが怖かった。


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