ゆめゆあ~大嫌いな私の世界戦争~
市立王川中学校2
 6

 翌日。
 世界は暗闇に満ちて物音一つ感じない。
 深夜二時。
 私は王川中に来た。
 炎上した体育倉庫は解体され跡形もない。
 私が起こした事件は警察の捜査で”人為的な物”と判断されたが犯人は捕まっていない。
 多量のガソリンを積んだ車を暴走させて体育倉庫へぶつける、なんていう過激な行為から、犯人は学校に恨みがある人物の可能性があると推察できるかもしれない。でも万が一私に捜査の手が及んだとしても、私を逮捕することは出来ない。
 証拠がない。
 どうやって車を遠隔操作したか? 車の鍵はどうやって解錠した? ガソリンの入手先は? 学校への運搬方法は?
 どれも中学生の私が出来ることじゃない。
 だから捕まらない。
 深夜。
 一人。
 王川中の裏門を乗りこえて私は校舎へ向かって空を飛んだ。
 二階。
 廊下の窓を能力を使って破壊して学校に侵入した。
 校舎の中へ来たのは八ヶ月ぶり。
 ドキドキする。
 汗とコンクリートの匂い。
 一瞬だけ懐かしい気持ちになった。
 でもすぐにまた、発作に襲われた。
「はぁはぁ……、あぐ……、うぅぅ」
 目眩がして膝をつく。
 息が詰まって呼吸が出来ない。
 体が熱い。
「う、うぇ……、うぇええええ」
 吐いた。
 少量の内容物が床に付着。
 残りは飲み込んだ。
 現場の証拠からDNA検査されるかもしれないからあんまり吐きたくない。
「あっ、あっ、あぅ、はぁはぁはぁはぁ……」
 呼吸が荒くなった。
 吸っても吸っても息苦しい。
 パニックになっている。
 落ち着け。
 これは過呼吸だ。
 吸うな。 
 吐け。息を吐け。
 自分に言い聞かせた。
「あっ、あぁぁ、あっ、ふ、ふわぁ……、ふぁー」
 何度か深呼吸をした。
 意識が飛ぶまでには至らなかった。
 落ち着いた。
 もう大丈夫だ。
 私は少しずつ変われている。過去と戦い勝利し、前に進んできた。
「はぁはぁ……、よ、よし」
 そう思って腰を上げた。
 立ちあがって教室の方へ歩いて行く。
 二年二組。
 去年の私のクラス。
 今日ここに来たのはこの教室をめちゃくちゃに破壊するためだ。
「はぁはぁ……、行くぞ」
 呼吸が不安定。
 足が震える。
 早めに済まさないと昏倒しそうだ。
 私は教室のドアを開けた。
 その時だった。
――ワァアアアアアアアアアアア
「え!?」
 ドアを開けて驚いた。
 異常な光景だった。
 制服を着た生徒たちが、喋ったり自習をしたり本を読んだりしていた。
 電灯に灯りがつき窓の外には陽まで昇っている。
 気がつくと私も制服を着ている。
 あの日に燃やしたはずなのに。
――ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ
 みんなの声がうるさい。
 耳が破裂しそう。
――シ――――――――――――ン
「う……」
 突然に声がおさまる。
 みんなが黙って私を見つめる。
 刺すような目。
 たくさんのナイフを向けられた気分。
「あぐ……」
 これは幻覚だ。
 PTSDのフラッシュバックだ。
 学校が刺激になって発作を起こしたに過ぎない。
 全部、まやかし。
 現実じゃないんだ。
「違う違う違う違う違う違う……、これは幻覚だ。幻覚だ。幻覚だ」
 わかっていた。
 でも消えない。
――――ガヤガヤガヤガヤガヤガヤ
 みんなは普段通りの日常を送りはじめた。
 もう私を見ることはない。
 いつもみたいに私は教室には存在しない。
「なんなんだよ! どうして! 何で! もうやなのに! もう、こんなことしたくないのに! なのに!」
 その声は誰にも届かない。
 取り乱す私をもう誰も見ない。
「うああああああああああああああ」
 私は自分を制御できなくなっていた。
 幻覚が消えないことがパニックの原因になった。
「もう消えて! 消えてよ! お願いだから……、もう助けて……、お願いだから……」
 情緒が不安定になった。
 悲しいのか怒っているのか自分でもわからなくなった。
「もう……、やだ……、もうやだよ。こんなの。 何で、何でこんなに私ばっかり苦しまないといけないんだよ! もう……、こんなのやだ! やだ! やなんだあああああ!」
 大声で叫んだ。
 ぷつりと、糸が切れたような気がした。
「うあああああああああああああああ」
 能力を使って地面を叩いた。
 地鳴りがする。コンクリートにヒビが入った。
 何度も何度も叩いた。一部、床に穴があいた。
「みんな消えて! 消えて! こんな幻覚もう見たくない! もうやめてよ! もうやなんだ! もうやだやだやだやだ!」
 みんなに向けて力を使った。
 人間を見えない手で握りしめて壁に投げた。人間を見えない手で握りしめて天井へ投げた。廊下にも投げた。窓にも投げた。
 机を掴んで無造作に投げた。もの凄い音がした。壁に当たってぐしゃぐしゃに弾けた。
「う……、うぅぅ、や、やめて……、やめてぇぇ……」
 能力を使って少女を宙につり上げた
 とても苦しそう。
 声にならない声。
「何? それは私のセリフだよ」
「う、うぅぅ……助けてぇぇ」
「それも私のセリフ」
 見えない手で体を締め上げた。
 悲鳴すらあげられないほどに。
「いつも無視してるんだから、今もそうしなよ」
「う、うぅぅ……」
「苦しい? そりゃあ苦しいよね。全身の骨が折れるくらいに握りしめてるんだから。でも……、私は……、私はもっともっともっと苦しかったんだよ!」
 気がついたら教室には死体の山。体が欠損し見るも無惨な死体が無造作に散らばっていた。
 床は穴だらけ。壁はめちゃくちゃに崩れ落ち、机や椅子の残骸が死体に混ざって転がっている。
「私の痛みはこんなもんじゃなかった!」
 そう叫びながら少女の体を思い切り握りしめた。
――ズシャアアアアアアアアアアア。
 赤い噴水が出来た。
 しぶきが全身にかかる。
 気がついたら教室中が赤く染まっていて、床には水たまりが出来ている。
「あ……、あぐ……うぅぅぅ」
 強烈な頭痛が襲ってきた。
 痛い。
 痛くて痛くて痛くて痛い。
 頭が割れそう。
 痛すぎてうずくまった。
 痛い痛い痛い痛い。
「あぐぁぁぁあ……、あぁぁぁぁ」
 床を転げ回った。
 制服が真っ赤に染まった。
 体中がベトベトして気持ちが悪い。
 メガネが落ちた。
 私は重度の弱視でメガネがないと生活ができない。昔、コンタクトレンズに変えようと思って眼科に行ったけれど、私の目に合う物がなくてコンタクトレンズに出来なかった。
 このメガネはレンズが分厚くてファッションアイテムとしては〇点。そのせいでダサく見えてみんなから嫌われる。
 少しでも可愛くなれたらみんなと一緒に居られるかもしれないって思ったんだけど、だめだった。
 私は変人かもしれないけれど、自分なりにみんなに合わせようと努力してきた。
 髪型を変えてみたり、ファッション誌を読んだり、鏡の前で笑顔を作る練習をしたり、スマホで自分の声を録音してどもりを改善しようとしたり。
 だけど何も変わらなかった。
 変えられなかった。
 だから今度こそ変わりたいと思う。
――「クスクス……、そのまま死んじゃえ」
 メガネを拾ったら芥川結愛が言った。
――アハハハハハハハ。
 みんなが笑った。
 みんな死んでいたのに生き返って私を笑っている。
 床には転がったバケツ。
 血だまりは赤いペンキ。
 体はシンナー臭い。
 これはあの日の光景。
 二年生の九月。
 不登校だった私が頑張って学校に行ったあの日の光景だ。

 去年の九月一日。
「今日は傘があったほうがいいでしょう」
 朝のニュースで気象予報士が言っていた。
 晴れ時々、曇り。
 外に出ると湿っぽい風が吹いた。
 久しぶりの通学路は緊張した。
 体育倉庫に閉じこめられたあの日から九ヶ月ぶりの学校である。
 不老川の河川敷。
 視線が恐い。
 体中が震えた。
【ゆゆちゃんがんばって】
 冷や汗をかきながら校門をくぐった時、LINEが来た。
 芥川結愛からである。
【教室で待ってるよ!】
【頑張れ!】
【ファイト!】
 クラスのグループLINEにたくさんの応援メッセージ。
 あの時、私はクラスの一員になったと思っていた。
 九ヶ月ぶりに学校に来られたのはみんなが背中を押してくれたからだった。 
【緊張で吐きそうだよぉ……】
 下駄箱で結愛ちゃんにLINEを送った。
 結愛ちゃんは、人生で初めて出来た友達だった。
 信頼していた。
 すぐに返事が来た。
【でもがんばったじゃんか。えらいじゃんか】
【真似するなー!】
 結愛ちゃんは私の口癖をよく真似していた。
【バカにするな!】
 でもそんな掛け合いも私は好きだった。
 こんなの初めてだったから。
 全て楽しかった。
 上履きに履き替えた。
 階段を登って二階へ行った。
【ここから再スタート……、まあ頑張ってみるよ】
 二年二組の教室の前に着いた時、結愛ちゃんにLINEを送った。
 不登校のままずっといるわけにもいかない。
 一歩踏み出すタイミングを探していた。
 それがここだと思った。
 自分自身、そして人生を変えるため私は教室のドアを開けた。
 その時だった。
――ドシャアアアアアアアアアアン
 頭上から血の雨が降ってきた。

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