クールな社長の不埒な娶とり宣言~夫婦の契りを交わしたい~
「社長は? もう帰られたのですか?」

「あ、一緒ですよ。社長は最後に送りますからね」

 ――え!? う、嘘でしょ。

 ああやっぱり嫌な予感はあたった。
 踵を返して逃げ去りたい。
 でも、ここまで来てそれは……。できない。

 仕方なく「そうですか」と、紫織は引き攣った微笑で答えた。

 ――今日は絶対に顔をみたくなかったのに。サイアク。

「しかし、こういう席は疲れますね」

「副社長はお客さまのお相手もありますもの。大変ですよね。お疲れさまでした」
 などと話をしながら荻野副社長に付いていくと、見えて来た。

 車の横に宗一郎が立っているのが見える。
 彼だけではない。彼の秘書光琉も一緒だった。
 なんでもない、なんでもないと呪文のように心で繰り返し、紫織は笑顔を顔に貼りつけた。

「お疲れさまです」
 お互いに通り一遍の挨拶を交わし、「どうぞ」と促されて紫織は助手席に乗り、宗一郎と光琉は後部座席に座った。

 こうなっては仕方がない。
 感情を捨て、何も聞こうとせず、人形になったつもりでやりすごそうと決めた。

 それなのに――。
 いくら高級車で車内が広いとはいえ、閉鎖空間だ。後ろの席の会話は否が応でも耳に入ってくるし、話をふられては無視することはできない。

「あ、室井さんだ」
 光琉の声に誘われて振り返れば、室井が営業部の社員や紫織の知らない恐らくは今日の客と歩いている。この後どこかで飲み直すのだろう。
 となると、あのまま室井にくっついていても邪魔だったかもしれない。

 やっぱりこの車に乗って正解だったのか。
 いやいや、ひとりでさっさとタクシー拾って帰ればよかったんだわ。

 ――はぁ。
 そんなことを考えて紫織はため息をついた。

「藤村さん、室井さんって奥さまを病気で亡くしたって聞いたんですが、それって本当なんですか? ご本人に聞くのもどうかと思ってね」
 そう言ったのは荻野だった。

「ええ、本当だと思います」

「ほらね」と言ったのは光琉だった。
「室井さんは、同じ会社の奥さまと大恋愛の果てに結婚して、奥さまが病気で亡くなって。それでその会社を辞めてしまったんですよ。ね、紫織さん?」
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