金曜日
もう日が落ちつつある薄暗い世界の中、一人静かにベランダに出る。サンダルを引き摺って、心許ない柵に寄りかかり、携帯を開いた。
杞憂なのは分かっていても、どうにも落ち着かないのでクラスメイトにメッセージを送ると「大丈夫だよ」と返事があった。
柵に腰をかけたまま空を見上げると、赤からオレンジへと自然に色変わりしている。東京を名乗っていいのか不安になるほどの田舎故に空が綺麗だ。晴れやかな心に美しい空模様、気分は上がる一方である。

――ガチャン。

景色に浸っていると、急に物々しい音が聴こえた。部屋に戻ると、靴を脱ぐことも無く玄関で立ち竦むIがいる。

「おかえり」

「……うん」

鼻をすする音と共にか細い返事が返ってくる。金曜日は決まってこうだ。私は携帯をズボンのポケットに押し込み、Iの元へ駆け寄る。

「……また、やられたの?」

Iがいじめられているというのは、それほど周知されていない。先生は勿論、同じ学年でも知ってる人は居ないと思う。加害者と、Iと、同室の私だけだ。知るまでに至った経緯なんか簡単なもので、寮生活をしていて同室となれば、異変には自然と気がつく。

Iは気弱で、内気な子だった。それが原因でいじめられ、先生に相談も出来ず、一人で抱えていた。

彼女の苦悩を知っているのは私だけ。

平日を締めくくる金曜日は必ずこんな様子で帰ってくるから、私は慰めたくて、その週末は門限のギリギリまで一緒に出かけて悲劇を忘れさせようと努めた。それでも毎週金曜日必ず、誰かとも分からない人から嫌がらせを受けるIはたった一人の相談相手である私に縋るしかない。だから私もそれに応えた。

「……うん」

「何されたの?」

「……靴、ペンキかかってた」

改めて見てみると、Iの靴は真っ赤に染まっていた。元の色など見る影もない。それに多分、乾き切ってない。靴から覗く指定の白い靴下は今も赤い染みを広げている。
私はしゃがみ込み、彼女の靴と靴下を脱がしながら訊いた。

「それだけ?」

涙で濡れた顔を見上げると、Iはさらに目から涙を零しながら言う。

「っ先週とられたネクタイ……泥だらけで……洗っても、取れないし……」

Iは左手で目を擦りながら、右手はポケットを探ってネクタイを差し出した。それは鮮やかな水色ではなく薄汚れた茶色をしていて、少し湿っている。多分、汚れを落とそうと必死に洗ったんだろう。
私は両方の靴下を脱がせ終わって、差し出されたネクタイを手に取った。そして彼女の背中に手を回す。

「辛かったね、よく頑張ったね」

私自身も頬を濡らして、強く抱きしめた。彼女は嗚咽して私の方に顔を埋める。ポンポンと背中を優しく叩いてやった。

「お風呂入ってきな、靴とネクタイ洗っとく」

彼女は勢いよく顔を上げて首を振る。そんなことまでしてもらうなんて、といった表情だ。本当に優しい子だな、と思い、私は顔を綻ばせた。

「大丈夫、明日一緒に出かけるでしょ?そのとき靴がこれだったら無理でしょ」

「でもそれはDが私に」

「明日は私の買い物に付き合ってもらうんだから、このくらいはさせて?」

納得のいってない表情の彼女を鎮めて、風呂場に押し込んだ。私は洗面所で靴と靴下とネクタイをまとめて洗っておく。

そして自分の机に置いておいた封筒を持って、気付かれないようにそっと部屋を出た。Iは長風呂だから安心だ。

しばらく廊下を歩いて、ある部屋番号の前で立ち止まる。小さく二回ノックすると「はいよ」と顔を覗かせたのは、クラスメイトのC。



ドアノブにかけられた指の爪の間には、赤いインクが染みている。



「ありがとう。はい、これ」

先程持ち出した封筒を手渡す。彼女は受け取って、中身を確認して顔を引き攣らせた。

「こんなにいいの?」

「うん、ありがとね」

そう言うと、彼女はそれを無造作にポケットに入れた。そして心配そうな表情でもう一度訊いた。

「……本当に、よかったの?」

「うん」

私は頷いて、続けた。






「Iが私に依存してくれればそれでいいの」
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