結婚ノすゝめ




ほうっとため息を再び吐き出したタイミングで榊さんが、ホットタオルを背中に優しくかけてくれる。

「悩める女の顔は色っぽいわねえ。」
「…え?」
「貴方、ここに来てから今までで一番良い顔しているわ。良かったわね、結婚式に間に合いそうで。」


榊さんは、目を細め、私と目線を合わせるために、腰をかかがめる。


「…私が保証してあげる。貴方は、凪斗にぴったりな嫁になるわ。」


目を見開いて驚いた私を見て、満足そうに口角をあげ、さらに目を細める。


「あらやだ、そんなに驚く?」
「だ、だって…まさか、榊さんからそんなお言葉を頂けるなんて…」


嬉しくて、思わず涙ぐむ私の肩をそっとその両手で優しく押す。


「これでも私は美のプロよ。毎日貴方の変化を見ているのだから。嘘は言わないわよ?」


ありがとうございます…榊さん。

毎日ジョギングしたりストレッチや筋トレをしたり。美容に気をつけて過ごしていた3ヶ月。けれど、自分では変化がよく分からなくて。今一自信につながらなかったから。

後2週間で結婚式を迎える私にとっては、とても心強い言葉をいただいたと思います。


「ところで、会えたの?ご両親に。」
「それが…いまだにお会いできなくて。凪斗さんが『あの人達は大丈夫』って…。」
「もう…凪斗もダメねえ。いくらご両親がお忙しいからって…」
「やっぱりお忙しいんですね…」
「そうね…ご両親は、もうお仕事は引退されて、世界各地を旅行されていると聞いたけれど。それもね。今までお世話になった方へのお礼行脚なんですって。確か、記事が出てたわよ。アメリカの記事だけれど…。」


ほらと榊原さんが見せてくれたタブレット。英語の活字で“美しき日本人。感じられる『侘び寂び』”


「凪斗のご両親はね、旧財閥の分家にあたる家柄同士の結婚で、お父上様はロケット開発の一端を担う会社の経営をすると同時に、出資をされていたそうよ。それがね…65歳で引退。引退を惜しむ声が多数…と言うか、100%だったけれど、本人は『それでは、若い世代へ未来を託せなくなる。そして、自分にはこれから成すべきことがある』と言ってね。そして、その成すべき事と言うのが、それまでお世話になった方へのお礼行脚ってわけ。」


…凄い方…なんだな。凪斗さんのご両親。

榊原さんの話に、ただただ感心しながら、記事を読み進め、出てきた画像で思わず指が止まった。

あ、あれ……?ちょっと待って…このお二人……。

忘れもしない、8月初旬の猛暑の日。
レジデンスの前で体調の悪くなったご主人と、その傍らに居た…女性……
………ええっ?!


「あ、あわわわ…。」
「どうしたのよ、急に…そんな漫画に出てきそうなほどのマヌケヅラ。」


久しぶりに聞いた、榊さんの毒言葉。
最近、芋娘って私を呼ばなくなっていたもんね…って和んでいる場合じゃない。


「さ、さ、さ、さ、さか…さか…」

「んもう!何よ!さか、さか言ってるだけじゃ分からないじゃない。大体、私は、『さかき』よ、さ、か、き!」


人間驚き過ぎると言葉が一部しか出てこないのだと、身を持って証明した…けど。どうしよう…私、ご両親との初対面で、自分の夕飯にしようと思っていたものをお出しし、お名前も伺わず、世間話をたっぷりしてしまった…。

もはや、“ご挨拶”と言う次元を棒高跳び予選会のチャンピオンのごとく、軽々と超えて一般的食卓で団欒……


ああ…私とした事が。

頭を抱えてふと気がついた。


…待って?真崎先生は…田宮さんのご両親の事をご存知なかったの?だって、田宮さんの専任弁護士をしてもうかれこれ…5年?10年?それなのに、ご両親の顔をご存じ無いと言うことは…無いはず。

だったら、どうして黙っていたのだろうか。


「良いわね〜!今日も凪斗がお待ちかね!凪斗が好きな香りのアロマを使って施術しているからバッチリよ!」

「榊さん…今夜一晩で良いですから、ここにお泊まりを…」

「バカ言わないで!」


「さっさと帰りなさい!」と背中を半ば無理やり押されて帰路に着く。


ああ…本当に何とお詫びしたら良いのやら。
ご両親に大変失礼を……。


あれこれ、グルグルと話の切り出し方を考えていたら、「お帰りなさいませ」とコンシェルジュさんが、いつも通りの笑顔でご挨拶をしてくれた。


ふうとそこで一つ大きなため息。

……仕方ない。しでかしてしまったことは消せないんだから。
ここは正直に田宮さんに話をするしかない。


お詫びして…改めて謝罪とともに、お会いさせていただこう。

エレベーターに乗り込み、思った。

私、こんなに決断早い人だったっけ。




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