結婚ノすゝめ
程なくして、誰かの訪問を知らせるチャイムが鳴った。


「お、早い。来たな。」

一応、覗き穴から確認した田宮さんは、ロック解除をしてドアを開ける。

「田宮さん!何やってんですか!皆探して…」

勢いよく入って来た、少し若めの男性。
田宮さんよりも少しだけ背が高く、サラサの髪は栗毛色をしている。その人の黒目がちな目が私を見た瞬間に眉間に少しシワがよる。


「…どっから連れて来たんすか。」
「え?まあ…色々…「すみません、うちの所長が。もうすぐ弁護士が来ますので、もう少しだけご辛抱いただければ」
「お前、話聞けよ。」

あきれる田宮さんと、田宮さんに臆することも、この状況に動じる事もなく、淡々冷静に話す若者に何となく悟った。

田宮さんの人となりを。

この人…相当な“タラシ”だ。
思い返してみれば、私も出会ったばかりなのに、身の上をベラベラと話して、結婚の約束までしてしまった。田宮さんの口上に丸め込まれたと言っても良いかもしれない。


そして…その“タラシ”の後処理をさせられているのがこの若者であり、これから来る弁護士の『真崎先生』…と言うわけなんだろう。


「つかね、別にこの人との示談金交渉して欲しくて呼んだわけじゃないから。」
「そうなんですか?」
「お前は俺を何だと思ってんだよ…。」
「それは普段の行いを加味した上でお答えしてよろしいでしょうか。」
「あーもう…わかったって。とにかくね?この人と結婚したいわけ、俺は。
で、この人の借金を俺が返済すっから、真崎先生を呼んでくれっつったの。」
「なるほど…ってはっ?!田宮さんが結婚?!」
「うるさっ!」

若者は、さっきまで冷静沈着だったのにひっくり返る勢いで驚いている。恐らく若者にとって、田宮さんの結婚は絶対にあり得ない出来事なのだろう。そのくらい、“タラシ”。


それでも、ゴホンと一つ咳払いをした若者は、静かに私へと視線を向けた。


「…とにかく、一度座りませんか?こちらへどうぞ。」

ソファへ座るよう促した。

「あ、ありがとうございます…」

「いえ」と微笑む若者は、近くで見ると、微笑むと右ほほにエクボができる、スラリとした細身の体型で、イケメンの類であるとわかる。

「申し遅れました、俺は田宮さんの所でデザイナー補助と経理を担当している中田です。田宮さんとは大学生の時に知り合いまして。そこからの縁です。」
「そうですか…。えっと私は…橘 美花と言います。えっと…」

当たり前の事だけれど、言葉が出て来ない。
つい30分位前に偶然会ったわけだから。

田宮さんを見ると、真顔で小首を傾げて見せる。まるで「しっかり話せよ」と言わんばかりの顔つきだ。

“最初のミッション”とは…これか。


少しだけ、お腹あたりに気合いを入れ、改めて思考を巡らせた。

…私よりも若そうな中田さん。けれど、私を見ても冷静に対応をなさって、さらに田宮さんの結婚という中田さんにとっては最も驚くべき事が起こってもすぐに冷静に戻る。

中田さんは若いながらに冷静かつ常識を持ち合わせている人なのかもしれない。
だからこそ、突飛な事をしでかす田宮さんからも一目置かれてこういう場面で呼び出される。
ということは、嘘をついてもすぐに見抜かれてしまう気がする。けれど、『つい30分前に出会って』などと言ってしまったらそれはそれで結婚に反対をするだろう。

ならば…

「…私は普段、井上商事で働いております。田宮さんと出会ったのは…偶然でして。その…お恥ずかしい話ですが、両親の借金を理由に別の方から結婚を迫られておりまして。それを田宮さんに相談に乗っていただきました。それで…田宮さんが私を守ってくれて。そして…結婚しようと…」

「マジですか?!へー…そっか…。」


関心と驚きが同時に来た、そんな表情とでもいうのだろうか。中田さんの大きな目が少し見開いた。

「なんだ。田宮さんも良い所あるじゃないですか!」
「俺はいつでも良い人だろうが。」
「美花さん、田宮さんをよろしくお願いします。」
「だから聞けって、俺の話を。」
「これからは美花さんの言うことを聞けば間違いないですね!」


…信じてくれた。
嘘は一つも言ってないけれど、何だろう、この罪悪感。


「つーわけで、中田には連絡しといた方がいっかなーって思ってさ。」
「もしかして、今日は皆さんにお披露目したいから、着物を着て来て貰ったんですか?」

中田さんが真面目な顔をして、首を少し傾げると、田宮さんは呆れた様に腕組みをし直した。

「いくら何でも、こんな七五三の格好、他の奴らに見せられないから。披露の時はもっとちゃんとしてもらう。」


さっきから田宮さん、そればっかり。
…そんなに着物が似合ってないのかな?私…。

ははっと少し自嘲気味に笑う私に、中田さんがそっと顔を近づけた。


「…田宮さん、相当美花さんに惚れ込んでるんですね。着物姿を他の人に見られたくないんですよ、絶対。
って、わかってますよね、田宮さんと結婚するくらいですから!」


…中田さんが冷静沈着だという読みは外れていたらしい。

ただ単に、田宮さんのイレギュラーに振り回されすぎていて麻痺しているだけで、どちらかというと純真な人なのかも。

「田宮さん、俺、嬉しいっす!」
「はいはい。わかった…ってくっつくな!暑苦しい!」

そして、田宮さんが大好き。

ピンポン

再び訪問を知らせるチャイムが鳴った。

「おっ!真崎先生登場ですね。驚くだろうなー。」

中田さんが田宮さんから離れてドアへと向かう。
田宮さんはふうと息を吐きながら、中田さんに抱きつかれて乱れたジャケットを整えた。その表情は笑みではないけれど、どことなく穏やかに見えて、思わずジッと見てしまう。

「…何?」
「い、いえ…中田さんと仲が良いんだなと…」
「気のせいでしょ。」

ほんのり耳を赤くして、バツが悪そうに私を一瞥すると「ったく…」と呆れながら、そばにあったグラスを手に取り、ミネラルウォーターをそこに入れ、コクリと飲んだ。

どうやら、田宮さんも中田さんが好き。相思相愛、男の信頼関係というやつらしい。


「田宮さん、お待たせして申し訳ありません。」


部屋へと入って来た男性は、銀縁眼鏡をかけて、単発ながら、薄いクリーム色のワイシャツにグレーのネクタイを締め、ベストを着ているどこかスタイリッシュでスラリとしている。
私に気がつき、穏やかに笑顔を作りながら軽く会釈をした。


「田宮さん…また…」
「は?!だから違うって…」

そこから10分。
部屋へと入って来た弁護士の真崎先生に中田さん同様、結婚する旨と経緯をご説明。

「田宮さんが…結婚…」

穏やかではあるけれど、中田さんと同種類の反応で、やはり田宮さんはタラシであり、結婚するという事に関して、驚くべき事なのだと私の中で確信した。

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