昔飼ってた犬がイケメン男子高校生になって会いにきた話
病院に着くと、葉月と翔は集中治療室の前まで案内された。

 待合室には母が一人で椅子に座っていた。

「葉月、来てくれたんだ」

 母は椅子から立ち上がり、疲れているのか少しやつれた顔になりながら、葉月と翔の元までやって来た。

そして翔を見ると、「あれ、その子は?」と母は葉月に訊いた。

「えっと……友達なんだけど、私のことを心配してここまでついて来てくれたんだよ」

「そうなんだ。わざわざありがとう。ごめんね、葉月のために」翔に向かってお辞儀をしながら母は言った。

「気にしないでください。俺が勝手について来ただけですから」

 翔は母と話せたことが嬉しいのか、笑みをこぼしている。

「名前は?」

「翔って言います」

「翔くんね。よろしく」

 挨拶もそこそこに葉月と翔、母は椅子に座った。

 そこで母は翔に聞こえないよう、そっと葉月に話しかけた。

「ねえ、葉月。友達って言ってたけど、本当は彼氏なんでしょ?」

「違うよ、本当に友達」

「えっ、本当に? それにしても、翔くんってイケメンだよね」

「もう、こんな時に何言ってんの」葉月は呆れながら言った。

 まさかここにいるのは、昔飼っていた犬のハルの生まれ変わりだなんて、母は想像すらしないだろう。

 ここは携帯電話が使用可能な場所なため、隣でスマートフォンの操作に夢中になっている翔に、母が言ったことが聞こえていないかどうか気にしながら葉月は見た。

翔は何も気にしていないように見える。その様子を見て、葉月は安堵した。

スマートフォンの操作をやめた翔が「ところで、お父さんの姿が見当たらないですけど、今何してるんですか?」と母に尋ねた。

「お父さんは今、手術前の検査をしているところだよ。検査が終わればすぐに手術するんだって」

「手術か……無事に終わるといいですね」翔が言った。

「本当にね。あっ、お父さん!」母がそう言うと、父が付き添いの医者と共に、検査室から出てきた。

「話しかけずに顔を見るだけにしてください。目が覚めると血圧が上がりますから」と医者が言った。

 医者に言われた通り、話しかけずに近づいて顔を見ると、父は鎮静剤でぐっすり眠っているようだった。

久々に見る父の寝顔は、心なしか前よりも老けた気がする。

翔はそんな父を見て、何とも言えない複雑な表情をしている。

 その後、集中治療室で担当の医者から病状と手術の説明を受け、同意書に署名をし、待合室に移動して待った。

「頭を開いて手術をするって、何かすごいな」

「そうだね。考えただけでも怖くて身震いしそう」母が言った。

「あの中で、葉月さんのお父さんは手術をするんですよね」翔はそう言うと、集中治療室の自動ドアを見た。

「うん。どうなるんだろうね」

 ひとしきり話すと、全員無言になり、母と翔はスマートフォンを操作し始めた。

 医者や看護師、葉月たち以外の患者の家族と思われる人々が行き交う慌ただしい待合室の中、葉月は考えた。

 父との関係はまだ修復されたわけではない。まだわだかまりが残る中で、父の手術が無事に終わった後、労りの言葉をかけてあげられる自信はない。むしろ不倫をしたことを責めてしまうかもしれない。

 そんな危機感を抱いた葉月は、どうしたらよいかと頭を悩ませた。

 病人を責めるくらいなら、いっそ東京に戻った方がいいのかもしれない。話すことなら、元気になればいくらでもできるのだから。

 でも、この手術が無事に終わるかどうかわからないし、帰っても不安になるだけだ。その上、母を一人で病院に残す訳にもいかない。

心の中で葛藤をしていると、目の前にあった掲示板の張り紙が、ふと葉月の視界に入った。

張り紙には黒色の柴犬が印刷されてある。

 その張り紙の柴犬を可愛いと思いながら微笑ましく見ていると、葉月はピンときた。

「手術は長丁場になるから、ここにいても特に何もすることはないだろうし、葉月と翔くん二人で外に出ていてもいいよ」母が言った。

「どうする?」と葉月が翔に訊くと、「俺はどっちでもいいです」と答えた。

「じゃあ、手術が終わる時間まで、翔と出てくるね」葉月は母に言った。

「何するんですか?」

翔の問いかけには答えず、葉月は「いいから来て」と言って椅子から立ち上がり、出口に向かって歩いた。

「えっ? ちょっ、葉月さん」

翔も葉月の後を追うように、立ち上がって歩いた。

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